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Blog : Study Abroad

インド・モプンチュケット村における移動耕作と持続的発展の可能性

氏名: ユウ ハイチョウ
国籍: 中国
早稲田での所属: 政治経済学部 4年


2016年の夏、私たちのクラスは北インドにあるナガランド州まで足を伸ばし、アオ族* が住んでいる地域、モプンチュケット村を1週間にわたり見学してき ました。この地域では「移動耕作」という農耕法が幅広く使われています。このレポートでは同地域で学んだ移動耕作の持続可能性について、そしてより持続可 能性の低い開発分野について報告したいと思います。
 

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第一日目。モプンチュケット村の概要を知るため、歩きまわりました。

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釣りをしました。川の石に座り、本当の漁師の気分でした。

まず、簡単に説明すると、「移動耕作」は環境にやさしい科学的かつ先見的な休閑システムであり、土壌肥沃度を回復させるため、数年ごとに耕作地を移動させ る農耕法です。この移動耕作は何千年にもわたりナガランドの住民たちに利用されてきました。この地域の景色や畑の様子を考えると、この方法により、環境が よく保護できています。この見学をとおし、賢明な資源管理と持続可能性の高い土地利用の必要性を強く実感しました。

さらに、移動耕作は村 のすべての農家がかかわる集団的活動であるため、地域の共同体意識を高めています。換言すると、移動耕作により、共同体の持続可能性がより高くなります。 滞在中、人間と大自然の関係だけではなく、人間同士の間にある密接な関係もみてとることができました。その村の住民の間には、魔法のような強い絆がありま した。一度、ある住民に「この村の人でも、たまに苦労せずして利益を得たくなったりしませんか?」と聞くと、「だれも自発的にそんな行為はしませんよ」と の答えを頂きました。その村では、ほかの村人を騙したり、自分の仕事を怠けたりする人は、一時的な利益は得るかもしれませんが、悪事がすぐばれてしまうの で、結局なにも得にならない。この社会では、個人的なアイデンティティと共に、コミュニティ活動に対する積極的な態度も大事にされています。そのおかげ で、この村の人たちはリスクと負担を分かち合い、耕作のコストを効率よく減らしています。要するに、移動耕作のおかげで、村人の間に緊密な関係ができると ともに、村の資源管理も効率よくできるのです。


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ベンという名の農家の方が、特殊な植物と川からの魚を使って料理を作ってくれました。
ごはんは、竹の茎の内側を使って料理していました。


しかし、持続可能性にかかわる問題も多く発生しています。例えば、最近は政府によるプロジェクトが人気を集めており、移動耕作を諦める人が増えてきまし た。政府のプロジェクトに従事している村人は、幸運な人としてみなされます。しかし、そのような幸運な村人の選定経過、そして給付金や土地の割当てには問 題が起こりかねません。例えば、選定過程におけるバイアスやえこひいきのために、村の一体感が脅かされる恐れがあります。現在村が直面している問題には、 市場経済が大きな影響を与えているといえます。例えば、この地域に台頭してきた商業に関わる問題としては、人々が、土地を所有していても他のモノやサービ スに交換する通貨をもっていないことに気付き始めたことが挙げられます。「商業の世界には皆が魅力を感じているが、それは同時に混乱も招いている」と、ナ ガランドのNPOのメンバーの一人は言います。村の若者には、政府の仕事を得ようと村を出る人も出始めています。その結果、竹の工芸品作りなどの伝統的な 技術の多くが失われつつあります。伝統は徐々に忘れられており、これは残念ながら、これらの村の開発に伴う持続可能性の低い分野といえます。

上 記の問題は、村の若者に対する教育の目的と緊密に関係しています。もっとも大きな問題は、「村の教育の目的はなにか」ということです。村を去り、都会で仕 事を見つけるために知識をつけることが目的なのでしょうか。それとも、若者を村にとどめ、畑仕事をする際にためになる技術や手法を教えることが目的なので しょうか。

村から若者が出ていく問題は、モプンチュケット村だけでなく、昔からある数多くの村々が直面している深刻な問題です。ひとつの 村が試みた方法は、地域に根ざした教育に焦点を当てて伝統的な技術の維持に努める一方で、できるだけ村の規模に適した小さい産業を育成することでした。若 者に対する伝統の教育は、村が古来有する規範の価値を改めて強調するとともに、村そして生態系における「自給自足」と「持続可能性」の概念を再考するきっ かけとなります。これらの村々に若者を呼び戻しそこでの持続可能な発展を促進するのに最良の方法は、村の天然資源とその使い方に焦点をあてて地域に根ざし た価値や商品を創り出すことだと私は思います。

結論として、私はこの短期滞在の間、ナガランドでの生活に関し持続可能性が高い側面も低い 側面も見て参りました。私が観察したすべてのことをここに記すことはできませんでしたが、上記により、私が「持続可能性」の側面から考えたことを端的に示 すことができましたら幸いです。

* インド北東部に住む、ナガ族に属する部族
 

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文化披露デー。私は、特別な衣装を着て伝統的な中国の踊りを披露しました。日本人の学生は
ゆかたを着て「東京音頭」を踊りました。

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 モプンチュケット村の伝統的な衣装を着て。村ごとに、衣裳が少しずつ違うと聞きました。


 

Building the TOMODACHI Generation Programに参加して

氏名: 品川 達宏
国籍: 日本
早稲田での所属: 国際教養学部4年


私は、Building the TOMODACHI Generation Programに参加し、今年の2月の二週間をワシントンDCで過ごしました。以前の交換留学先もワシントンDCでしたので、今回は二回目の滞在となりました。しかし、留学とは違った形でワシントンでの滞在を満喫することができ、この滞在もまた私の記憶に強く残り、忘れられないものとなりました。

Building the TOMODACHI Generation Program(以下BTGプログラム)とはThe Washington Centerと日米研究インスティテュート(USJI)が開始したプログラムです。国内外を問わず活躍できるTOMODACHI世代* のリーダーを育成することを目的としています。この目的のもと、19名の日本人学生と15名のアメリカ人学生が参加し、リーダーシップ、異文化交流、社会問題に対する解決策などを学びました。
 

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ジェファーソンメモリアルの前にて。後ろに小さくホワイトハウスが見えていますので探してみてください。
(筆者は後列右から6番目)


今回のプログラムで特に重要だったミッションは、「異なる個人個人が協力して物事に取り組むこと」でした。参加者は異なるバックグラウンドを持っています。出身大学も専攻も異なり、最終的には、文化背景が異なるアメリカ人と一緒にチームワークをして、プロジェクト提案までしなければいけませんでした。2週間という限られた時間で、私たちはどこまでこの課題に対処できるのか、試されていました。

学生たちだけで、このミッションを達成することは困難だったと思います。しかし、BTGプログラムには、これを達成するためのヒントが散りばめられていました。特に役に立ったのは、自分や他の参加者が持つ強みを発見しようというワークでした。このワークを通して、各人が持っている強みは全く異なり、その異なる強みは、チームワークだからこそ生かすことができるということを学びました。個人で作業をするときは、自分の弱みを自分で埋め合わせなければなりません。しかし、チームワークをするときは、お互いの強みで補完しあうことができます。各個人の強みを最大限に生かして、チームに貢献することが、チームワークを成功させるための一つの秘訣であることを学びました。
 

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会議中の参加者達。このようにして議論を重ねていきました。議論中に、現地で活躍する方々から
アドバイスをもらう機会があり、非常に役に立ちました。


このプログラムのもう1つの重要なミッションは、「アメリカにおける市民社会の構造を理解すること」でした。このミッションの達成のために、現地で活躍する方から市民社会についてレクチャーを受けたり、様々な機関に足を運んだりしました。それらの機会を通して理解を深めるうちに、市民社会の取り組みにおいても、政府、非営利団体、営利企業など様々なアクターが、それぞれの強みを生かして、市民社会の発展に貢献していることがわかりました。つまり、私たちが学んだ、「自分の強みを最大限に生かす」ということは、チームプロジェクトにのみならず、市民社会の発展においても重要な役割を果たしていると言えます。
 

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お話を聞いた後に、世界銀行の前にて。実はこのとき非常に寒く、撮影が終わり次第、みんな暖を求めて
バスに飛び乗りました。


各個人の異なる強みを最大限に生かすこと。この気づきを応用して、プログラムの集大成である、グループプレゼンテーションに取り組みました。東北復興のためのプラン構築をテーマとし、日本人とアメリカ人混合の5チームで競い合い、現地で活躍する方々が審査員となり勝敗が決められました。当初、私たちのチームは、なごやかに議論が進み、順調なように見えました。しかし、なかなかお互いに言いたいことがうまく伝わらないという壁にぶち当たります。この壁を突破するために、日本人同士で集まり、話し合いました。まず、英語力では劣るため、彼らのペースについていけないという根本的な問題がありました。そこで、私たちは伝えたいことを予め視覚化し、英語力に欠けていても伝わるようにしました。この努力は実り、アメリカ人たちにも伝えたいことを理解してもらえたようで、お互いにより有意義な意見交換をすることができるようになりました。残念ながら、私たちのチームは勝つことができませんでした。しかし、文化的違いを乗り越えアメリカ人と協力してプロジェクトに取り組み、かつ彼らとの絆を得られたことは、何物にも変えられない貴重な収穫だったと思います。
 

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コンペティション後に。私たちのチームは、プレゼンテーションのためにオリジナルのTシャツを作り、
それを着用しています。


改めてBTGプログラムを振り返ってみて、2週間という短い期間ではあったのにも関わらず、多くの経験をしました。チームワークを育むために山奥でアスレチック体験をしたり、ワシントンで働く人と交流をしたりと、日本ではなかなかできない経験もしました。この2週間が充実していたことは、写真に写る参加者の表情からも明らかです。このプログラムを通して、異文化理解の方法を模索、実践に移せたことはもちろん、市民社会に対して、私たちができることは何なのか、またそれをどう実現すればいいのかを学びました。また、アメリカで働く多数の日本人の方々と交流する中で、私たちも、世界規模で活躍する人になりたいという思いをさらに強くしました。このプロジェクトで学んだこと、そしてさらに強くなった思いを忘れずに、今後も参加者同士で刺激を与え続け、前進していきます。
 

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屋外アスレチックで奮闘する参加者達。

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ネットワーキングレセプションにて。多くの人が参加し、参考になるお話をたくさん聞くことができました。

最後になりますが、プログラム中に私たちをサポートして下さった皆様、特に、この機会をくださった、The Washington CenterとUSJIの皆様、スポンサーとしてご支援をくださった、TOMODACHI イニシアチブ、トヨタ自動車株式会社、三菱商事株式会社、日立製作所、モルガン・スタンレー社(以上敬称略)、そして私を早稲田大学の代表として選んでくださった、早稲田大学留学センターの皆様に心より御礼を申し上げます。


*TOMODACHI世代
「TOMODACHI は夢を持ち、その実現に向け計画を立て、実行する日米の将来の世代、すなわち互いの文化や国を理 解し、成功と社会への貢献に必要な世界中で通用する技能と国際的な視点を備え、日米関係の将来に深く関わる 「TOMODACHI 世代」の育成を目指しています。」
http://www.mofa.go.jp/mofaj/saigai/pdfs/usjapantomodachi.pdf
 

Kakehashi Project に参加して

氏名: 大竹 浩貴
国籍: 日本
早稲田での所属: 商学部 3 年

2016年3月8日~15日、私はKAKEHASHI Projectに参加し、初春のサンフランシスコを訪れました。様々な出会いがあり、多様な価値観や文化に触れ、感性が刺激されたあの1週間はおそらく今までの私の大学生活の中で最も密度の濃い充実した一週間でした。
 
KAKEHASHI Projectとは、日本外務省により推進されている事業です。アジア太平洋州の各国の学生を日本に招待、もしくはそれらの国に日本人学生を派遣することにより対日理解を促進することが目的です。また、私たち学生のような草の根レベルで日本の魅力を発信し、現地学生と交流を持つことで将来的には私たち自身が両国間の「懸け橋」になることが期待されます。実際に私たちはサンフランシスコ周辺の大学や高校を訪問し、これらのような目標を達成するため活動を行い、最終日には1週間の見聞をもとに帰国後のアクションプランを作成し他大学と共有しました。
 

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サンフランシスコのシンボル、ゴールデンゲートブリッジ前にて

早稲田大学からは23人がこのProjectに参加し、渡米の数か月前から準備をすすめ、どのように日本の魅力をわかりやすく伝えるか議論を重ねました。私たちは、伝統的スポーツである相撲、日本の食文化、実演を用いた日本文化の発信の3つにテーマをしぼり発表を行いました。日本語を専攻する大学生から日本について何も知らない地方の高校生など幅広い層に向けて発表の機会をいただき、その中でも改善点を見つけたり、相手に合わせた工夫を施したりしながら発表したことによって双方にとって有意義なものにできたと思います。私自身は実演グループとしてソーラン節を踊りました。みんな一回は踊ったことのあるダンスですがいざ日本の看板を背負って踊るとなると不安は大きく発表直前はドキドキでした。本番では会場を巻き込み、全員で踊ることで、(Americanな雰囲気にも助けられつつ)最高の盛り上がりで終わることが出来ました。当初は1回の予定でしたが、各校の希望により3日間で4回も踊らせていただきました。筋肉痛に悩まされたのもいい思い出です。笑


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San Jose state universityでソーラン節を披露した実演グループ。日本らしい衣装としてハッピをきて踊りました。 

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San Francisco university にてキャンパスツアーをしてくれた現地学生と

これら日本の魅力の発信にくわえて、このプログラムでは現地に赴き様々なことを感じ取る受信という面のウェイトも非常に大きかったです。日系企業や大規模農園、風刺壁画であふれる街mission districtなど数多くの場所を訪れ、そこで見たり聞いたりした一つ一つが今までなかった観点や知識を与えてくれました。特に印象に残っているのは、4日目に訪れたNorth Salinas 高校でのある生徒のスピーチです。町全体がカリフォルニアを支える農業従事者であるメキシコからのヒスパニック系移民のコミュニティーとして機能しており、看板や標識などもスペイン語で表記されていました。彼らの中には危険を承知で国境を渡りアメリカに入る人もいます。スピーチをしてくれた彼も幼いころ両親とともに歩いて国境をこえたバックグラウンドを持っており、それゆえに経験した辛い生活や今の思いをまっすぐな言葉で語ってくれました。近年、取り上げられることの多い移民問題ですが、それについて数字や理論だけではなくもっと根本的な人の心を大事にしながら考えていきたいなと感じさせる貴重な体験になりました。ニュースや本を通してでも同じ境遇の人の話は見つけられるかもしれませんが、実際に面と向かって聞いた話は胸に刺さるものがあり、現地に足を運び、交流を持つことの大切さを改めて実感しました。
 

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Alisal high schoolにて

最後に
このKakehashi Projectはここで終わりではなく、アメリカでの経験をもとに話し合い作成した対日理解促進のためのアクションプランをこれから早稲田の仲間たちと一緒に実行していきます。私にとっては、様々な経験を共にし、夜は遅くまで語り合ったこの22人全員との出会いが1週間学んだことと同じくらい宝物になりました。たくさんの刺激をくれた彼らに心からお礼を言いたいです。また、このようなチャンスを与えてくれた留学センターの先生、現地コーディネーター、実施団体 JICE(日本国際協力センター)、すべての人に感謝し、彼らの期待にこたえられるような活動をこれからもしていきたいと思います。ありがとうございました。

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6大学が参加したビックプロジェクトでした



 

北京大学ダブルディグリー・プログラムに参加して

竹内顔写真.jpg




氏名:
 竹内 雄登
国籍: 日本
早稲田での所属: 人間科学部 4年


 
私は、2014年9月から2015年7月まで北京大学にダブルディグリープログラムで留学していました。北京大学では国際関係学院に所属し、国際政治を学びました。WSCメンバーズ基金グローバル人材育成奨学金に採用していただき、その誇りをもって留学に臨みました。そのおかげもあり、無事に北京大学の学位を取得できるようになりました。
 

WSCメンバーズ基金グローバル人材育成奨学金.JPG

 WSCメンバーズ基金グローバル人材育成奨学金の表彰式にて
 

DD終了後、肩の荷が下りた状態での記念写真.JPG

この留学は一言で表現すると、“修行”でした。北京の西北に位置する北京大学は、北京の繁華街からは離れており、俗世からの隔離には絶好の立地です。中国の大学では、全寮制が一般的であり、北京大学もほとんどの学生(一部の留学生以外)は学内の寮に住んでいます。とてつもなく広いキャンパスであるにもかかわらず、学生は常に学内にいるため、授業や食事の時間帯などは歩くことが大変なくらい道いっぱいに人がいます。

私は生活リズムを中国人学生と同じようにするようにしました。朝食は6時、夕食は17時というあまりにも早い時間帯での食事と睡眠以外は、1日の時間を授業や課題に使っていました。北京大学のほとんどの中国人学生にとって、ハロウィンもクリスマスも年末のカウントダウンも普通の1日であるため、学内にいると、毎日が普通の1日でした。しかし、普通ではない日もありました。それは、大量のレポート提出の期間とテスト期間の日々です。北京大学の生活では勉強しかしていなかったですが、その期間は本当に過酷な日々でした。特に、第1学期は北京大学での未経験なことが多かったため、不安に押し潰されそうになりながら、その日々を過ごしていました。テスト終了後も、成績発表までは安心できないため、長期休暇に入り旅行をしていても不安は消えませんでした。成績が発表され、単位取得はもちろんのこと、規定のGPAを上回っていることを確認してはじめて、肩の荷が下りました。肩の荷が下りるという言葉の意味を全身で理解することができたのはこのときです。
写真: DD終了後、肩の荷が下りた状態で

 

このように私の北京大学留学は、今まで感じたことのないプレッシャーと戦いながら、北京大学の学位という怪物に必死にしがみつくという修行でした。それは本当に大変な日々でした。しかし、国際政治概論という科目の学期末レポートでは満点、つまり全受講生1位の評価を得ることができ、一部の科目では“学覇”の称号を得ることができる点数を取ることができました。中国人学生に食らいつくように毎日努力していて本当に良かったです。ダブルディグリープログラムというサバイバルゲームで生き残ることができたことは心から嬉しいことでした。留学を通して生まれた自信は私の武器になると信じています。
 

国際政治概論王逸舟教授と.JPG

国際政治概論の講義中、王逸舟教授と
 

北京大学での最後のテスト後にDD同期とお疲れ会.JPG

 北京大学での最後のテスト後にDD同期とお疲れ会


ダブルディグリープログラム終了後の8月、とあるサマーキャンプに参加させていただきました。専門の異なる多国籍の学生、学者の方々に囲まれて1ヶ月間共同生活し、アジアの未来について考えました。北京大学で国際政治を学んでいるうちに芽生えたアジア人としての自覚が、このサマーキャンプを通してさらに強いものになりました。この1年間、アジア人が協力してアジアを発展させていく大切さを心から感じることができました。私は資源エネルギーに興味がありますので、その分野からアジアの協力を促し、アジアが世界をリードするために必要な人材になりたいと考えています。

最後に、北京大学留学に際して、たくさんの方々からお世話をしていただいたことに対して、心から感謝しております。本当にありがとうございます。北京大学にダブルディグリープログラムで留学できた経験は今後の私の人生をさらに豊かにしてくれると信じています。感謝の気持ちをもって、これからの人生も楽しいものにするために今後も努力します。
 

カナダでのスノーシュー・キャンプ

氏名: 林 将平
国籍: 日本
早稲田での所属: 国際教養学部1年 


2015年2月11日から2月26日まで、私は「Critical Looks on Education」という環境教育の授業の一環で、カナダのアルバータ州で二週間のキャンプを行いました。

ある映画の中で、監督がこのように言いました。「テクノロジーが発達し、人間の生活はますます便利になりました。人が住む部屋の中には、たくさんの『管』があります。蛇口をひねれば、水が出ます。コンロを回せばガスが出て、容易に火を使うことができます。また、自分の排泄物も、『管』をつかって簡単に処理することができます。しかし、たった一本の管が切れただけでも、人間の生活は大パニックに陥ります。」

確かに、人間の生活は、テクノロジーの発展と共に「便利」になりました。しかし、その分だけ、脆さも浮き彫りになってきました。では、人間は、本来そのように「脆い」生物なのでしょうか?その疑問を持ち、今回は、テクノロジーから離れた自然の中で、自分自身がどのようなことを感じるのか、また自分にはどんな可能性があるのかを知りたくて、このキャンプに参加しました。

カナダに到着して、始めの四日間は、アルバータ大学の学生と共に、キャンプに向けての準備を行いました。共にリーダーシップや、キャンプでの注意事項などの授業を受けたり、お互いの国の文化や問題について話合ったり、キャンプ用の食事や、装備品の準備をしました。

その後、レイクランド州立公園という場所に移り、約一週間のウィンターキャンプが始まりました。スノーシュー(snowshoes)という、カナダの伝統的なかんじきを履き、そりにテント、食糧を乗せて移動をします。その日ごとに場所を変えて、テントを作りそこで泊まる生活を繰り返していました。テントの中では、カナダ学生の語り手から、カナダのウィンターストーリーを聞き、早稲田の学生からは、日本のリーダーシップ、自然観、宗教観のプレゼンテーションを行いました。旅のところどころで、自分ひとりで森の中を歩く、ひとり歩きの時間(solo time)が与えられ、それぞれが特別な時間を過ごしていました。

最低気温-32℃の、凍える世界の中で、自分たちは生きることの根本を感覚的に学びました。以下の文章では、この体験をもとに私が感じた感覚を表現しました…
 

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雪の中、このようにそりを引いて、キャンプ地を目指す。(撮影: Professor Morten Asfeldt, University of Alberta, Augustana)

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私たちが二日目に泊まった、ビーバーダムという場所の写真。いたるところに刺さる黒い棒は、
死んだ木であり、木々が死んでいるのに美しいことが印象的であった。
(撮影:林 将平


                                ***

身の凍るような夜であった。吹き付ける風は「寒い」のではなく「痛い」。周りの雪は高くつもり、一歩歩くごとに雪の中に足を奪われるほどであった。あたりからは、人の音も、動物の音さえしない静寂に、私は包み込まれていた。

凍える大地から、天を仰いだ時の感動は、一生忘れないであろう。

空を覆うのは、数えきれないほどの星であり、その一つ一つが、まるで呼吸をするように燦々と輝いている。その時に、静寂を破り、人の声があたりに響いた。「オーロラだ!!」

生まれて初の体験。空の遥か彼方に、緑色と、青色が混ざった大きな光のカーテンが、揺らめいていた。この時始めて、自然への畏敬を感じるとともに、この圧倒的なる自然と、自分の人間としての接合点を感じた気がした…
 

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-32℃を記録した夜が明けた、朝の写真。美しい日出に感動した。(撮影: Emily Cole, University of Alberta, Augustana)

成田を出た2月11日から、26日までの二週間、たった336時間で、自分の価値観や人生観が根本的に揺さぶられる体験など、したことがなかった。これほどまでに、自然への畏敬と感謝をしたことがなかった。これほどまでに、寒さとあたたかさを感じたことがなかった。これほどまでに、人間を美しいと感じることはなかった。これほどまでに、ありのままの自分をさらけ出すことはなかった。これほどまでに、笑ったことがなかった。これほどまでに、人を褒め、褒められることはなかった。これほどまでに、幸せを感じることはなかった。

ただただ心から幸せだった。

自分たちの荷物を自分たちで運び、自分たちの寝どころを自分たちで作り、木を切って、まきを割り、自分たちで燃料を作り、自分たちで火を着け、自分たちで料理をし、一緒に食事を楽しむ。

夜になるとみんなで火を囲み、リーダーシップや人間と自然の関係、宗教観についてディスカッションをしたり、カナダの伝統的な物語をじっくりと聴きあう。

テントを出ると、360度広がる満点の星空、さらにそれを覆うオーロラに心を打たれ、皆で一緒に抱き合って、感動を分かち合う。

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宿泊をしたテントの中の様子。中には薪ストーブがあり、これによって寒さをしのいだ。
ここでウィンターストーリーを聞き、ディスカッションをした。
(撮影: Professor Morten Asfeldt)

朝になると、決まってストーブの炎が消えているから、凍えるほどの寒さの中飛び起きて、火をつける。朝ごはんを作り、急いでテントを片付け、次の拠点へとまた足を動かす。

どこまでも寒いのに、どこまでも温かさを感じる。
寒いからこそ、燃える火の温かさや、人間のぬくもりを一層感じることが出来る。

どこまでも静寂でありながら、どこまでも満たされている
静けさの中に、生命の息吹があふれていた。

どこまでもシンプルでありながら、どこまでも豊かである。

                                ***


私はこの体験の中で、自然とは幸せのありかであることを体感した。その自然に小さいころから関わり合いを持って成長してきたカナダ人生徒たちに、人間の美しさを感じた。他の人に親切にすること。素直でいること。思いやりの心を持つこと。今生きることを最高に楽しむこと。謙虚であること。これらのことを当たり前のように行っていることに対して、尊敬の念を抱かざるを得ない。

この旅を企画し、運営してくれた早稲田大学の高野孝子教授、アルバータ大学のMorten Asfeldt教授、旅のサポートをしてくれたEmilyとAlly、自分たちを心から受け入れてくれた、素晴らしいカナダ学生8人と、この旅をともに行った早稲田学生7人、かかわってくださったすべての方々に、感謝の意を述べたいと思います。本当にありがとうございました。

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夕焼けに照らされた、スノーシューの写真。夕日は、広大な大地のあらゆるものを照らした。
(撮影: Ally Saunders,
University of Alberta, Augustana

 

アメリカ留学生が早稲田で30年ぶりに再会

4月14日に元カリフォルニア州立大学の留学生たちが30年同窓会のため早稲田大学で再会し、当時から留学生のお世話をしているCSU(カリフォルニア州立大学)の風岡多賀子さんが彼らを迎えました。 卒業生たちは30年で随分様変わりをしたキャンパス内を探索しながら、なつかしく思い出を語り合いました。

この卒業生たちが在籍した1984-85年度には、ジョン・アリン教授の引率の下CSU 23校のうちの6つのキャンパスから19人の学生が早稲田に留学し、毎日の日本語授業のほかに映画、美術、女流文学、宗教などの、早稲田大学が提供する日本に関する多様な教科を履修しながら、関西旅行などのフィールドトリップや日本のホストファミリーとの生活を通じてかけがえのない経験をし、たくさんの思い出を残しました。留学のきっかけは、日本学を専攻し日本語に興味を持って留学したという学生もいましたし、当時のバブル時代の拍車のかかった日本経済に興味を持ったことで日本留学を決めた学生もいましたと語っていました。ニューヨークで有名なロックフェラーセンタービルを日本人の投資家が購入したことがアメリカで大きなニュースとなったことなども影響があったそうです。

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1年の留学経験の後、このうちの多くの学生が日本とのつながりをもち続けました。日本の銀行に勤めた人が2名、他は商社、旅行会社、映画製作のスタジオ、免税店、メディアなどに就職しました。日本で得た知識を生かして米国財務省に就職した学生もいました。中には日本に在住し、日本人と結婚した人も数名います。今回再会した元留学生たちは、同窓会バナーを掲げ早稲田の校章付きのオリジナルの同窓会記念帽子をかぶり、早稲田魂がまだ健在であることをアピールしていました。これまでにも3回CSU-Waseda同窓会を開いており、次回は2020年に早稲田で再会することを検討し始めたそうです。

1964年に始まったCSU と早稲田との交換留学プログラムは、長い歴史の中で大きな成果を得ており、1980年以降は600人以上のCSUの学生が早稲田に留学し、1996年に相互交換プログラムとなってからは400人以上の早大生がCSUに留学をしています。近年も毎年平均46人の日米学生がこの交換留学プログラムを通して日米の交流の懸け橋になっています。

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1984-85 CSU at Waseda reunion group
(L-R)風岡多賀子, Sharon Taguma, Theresa Garcia, Jon Nordeen, Ken Perry, Eric Kent, Joe Salvemini (guest), Wing Leung, Mike Okamura, Catherine Grennan. (Not pictured: Jim Reilly)

二段階留学の勧め

Profile
氏名:不破信彦(フワノブヒコ)
Japan Study 早稲田大学交換留学生
留学先と留学期間:ベロイト大学1982-83年度
現在:早稲田大学大学院アジア太平洋研究科 教授

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本稿では、国際的なキャリアを目指す(主に日本人の)学部学生を対象として念頭におきながら、外国
の大学院での修士または博士号の取得を目指すことを前提に、その前段階として、学部時代に1年間、
小規模で日本では無名なリベラル・アーツ大学に留学することを推奨したい。

私は大学3年生の時に国際部の交換留学制度を利用して、米国ウィスコンシン州のベロイト大学に
在籍した(1982-83)。当時は交換留学先の選択肢は少なく、特にアメリカの所謂「有名大学」はその
中には一切なかった。とはいえ、それまで一度も外国に行ったことがなかったので、行かせて
もらえるのならどこでも、というのが正直な思いであった。

アメリカに限らずどの国に行くにせよ、大学の学部学生の時点で交換留学に出かけることの最大の
メリットは、それまで生まれ育った社会・文化的環境から離れた場所に身を置いて、今後の自分の人生
の過ごし方についてじっくりと考える時間を持てることだと思う。少なくとも私にとってはそうであった。
私自身は、いろいろと思いあぐねたあげく「国際開発」分野のキャリアを志ざし、現時点で職場を7カ所
渡り歩いているが、キャリアの方向性自体はぶれることなく今日に至ることができているのは、一重に
ベロイト大学時代の一年間のモラトリアム期間の思索のおかげだと、今でも思う。

ベロイトから早稲田にもどり、5年かけて大学を卒業した後、5年間のサラリーマン生活を経てカリフォルニア
大学(バークレー)大学院に5年間在籍した。それらの経験をもとに、中西部のリベラルアーツ大学と西海岸
の大規模な研究大学という対照的な環境を対比することで、これから留学先を選ぼうとしている学生諸氏の
参考にしてもらえればと思う。

中西部の小規模な大学の魅力の一つは、日本人が(ほとんど)いないことだ。それらの大学ではほぼ全員
の学生がキャンパス内の寮に住むことになるので、あまり努力をしなくても日本人以外の人々と付き
合わざるを得ない。日本語を使う相手がいないから、いやでも英語が上達する。ただし、英語の文章力は
自然には上達しないので、授業科目としてオファーされる「academic writing」等を履修することは不可欠
となる。私が今まで在籍した7カ所の職場のうち2カ所は国際機関(アメリカにある世界銀行およびフィリピン
にある国際稲研究所)であったが、そこで必要とされた英語力の基礎は全てベロイトでの一年間で得た
ものといってよい。

他方、大規模の有名大学には日本人コミュニティーが形成されている。彼らと全く付き合わないことは
無理であるし、後の人生での人脈形成のためにも彼らと付き合わないことは賢明ではない。その結果、
日本人以外の学生との付き合いや英語でのコミュニケーションの密度は、どうしても中西部の大学に
いる場合よりも低くなる。また日本と同様アメリカの有名大学でも、学部レベルでは大教室での授業も
多いため、教授のアテンションを得にくいが、リベラルアーツ大学では授業の規模が小さく、教授との付き
合いがはるかに濃い。そもそも、アメリカの著名研究大学に在籍する最大のメリットは、国籍を問わず
集められたトップクラスの研究者の指導が受けられることにある。そして私自身にとっても、バークレーで
学位を取得したことは、その後のキャリア形成に必要不可欠な要素となっている(例えば、世銀への就職)。
しかし著名研究大学の学生としてのメリットが活きるのは、学部教育ではなく、あくまで大学院レベルで
あるということである。

またアメリカといっても広いので、東、西、中西部等では文化も人種構成も大きく違う。有名研究大学が
ある多くの街はコズモポリタンな場所が多く、日本食も求めれば手に入るが、中西部はそうはいかない。
田舎の人々には、日本がどこにあるかもよく知らない(又は日本が島国であることを知らない)人もいた。
いろんな意味で、有名大学に行く場合に比べて、受けるカルチャーショックの大きさが全く違う。
カルチャーショックを受けることが留学の目的の一つであるから、どうせならショックは大きい方がいい。

一般論としては、キャリア目標次第では必ずしも留学先を北米から選ぶ必要は全くない。国際開発を
専門とする立場から言うと、将来いかなるキャリアに進むにしても、大学の学部時代に一年外国で過ごす
先として非英語圏の発展途上国は極めて魅力的な選択肢だと思う。しかし他方で、例えば国際機関の
職員を目指すのであれば、まずはネイティブと遜色のない英語力(特に素早く文章を書く力)がないと全く
相手にされないので、学部時代の一年間でそれを身に着けることは理にかなっている。特に、将来的に
英語圏の大学院への進学を視野に入れている人に対しては、学部の段階では有名大学をあえて避けて、
小さなリベラルアーツ大学で学ぶことを強く勧めたい。

Japan Study and Waseda University
50 Years of International Exchange, 1963-2013 より転載

オーストラリア ブリスベン ただ今留学中!

Profile
氏名:内木 紀子(ウチキ ノリコ)
2008年:商学部卒業
現在:オーストラリア・クイーンズランド大学 コミュニケーション修士課程
Public Relations and Professional Communication 専攻(2014年12月卒業予定)

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右は親友のKeila

早稲田大学商学部を卒業後、日本のIT企業に就職し営業の仕事を5年間経験しました。
パブリック・リレーションズ(Public Relations:PR)の分野でのキャリアチェンジを目指して
会社を退職し、2013年7月からオーストラリアの都市ブリスベンにあるクイーンズランド大学
(以下UQ)で学んでいます。


きっかけは早稲田大学のオープン科目

PRとの出会いは、早稲田大学客員教授の井之上喬先生の「パブリック・リレーションズ概論・
特論」の授業です。日本では当時もう一つの「Public Information」(選挙日や納税日などの
告知型で一方向の情報発信)が日本に入っており、この言葉の翻訳が、Public Relationsと
取り違えられ、「広報」になったと言われています。Public Relationsは本来、経済学、社会学、
経営学、心理学、政治学など20以上の学問領域をカバーする学際的な要素が極めて強い
学問です(井之上喬著『パブリック・リレーションズ』より)。
これから将来性のある分野と知り、いつか海外で体系的に学びたいと思っていました。
米国、イギリス、オーストラリアで悩みましたが、程よいプログラムの長さと中学生の時に
ホームステイした馴染みのある国ということで、オーストラリアを選びました。


クイーンズランド大学の充実した英語プログラム

英語力の向上は大学入学後も頭の痛い問題です。UQでは単位の取得を目的としない無料
のプログラムやサービスが充実しており、留学生活をスタートする際の心強い味方になって
くれました。私が参加したChat Matesはカジュアルに楽しく会話力を伸ばすことができます。
学生ボランティアによるリーダー(基本的に英語を母国語とする学生)2~3人に対し留学生
数人が割り当てられ、毎週会話表現を学びます。所属学部の垣根を越えて様々な留学生と
カフェや芝の上で過ごす時間は授業の合間の良い息抜きになりました。他に、アカデミック
英語の強化や、個々の課題の相談ができるサービスもあります。
 

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Chat Mates キャンパス内のカフェ

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クラスメイトと


授業のビデオ制作がコミュニティラジオへの興味につながる

Media, ICTs and Social Changeというコースのビデオ制作の課題で、ものを作りだす過程や
自分の思いを発信することの楽しさ、そしてそれを可能にするソーシャルメディアやコミュニティ
メディアの存在意義を初めて真剣に考えました。大学内に限らず自分の声を発信できる場所を
探して、ブリスベンのローカルラジオ局、4EB FMに行き着きました。4EB FMは50か国語の
番組を放送するコミュニティラジオです。番組の制作や放送はすべてボランティアで成り立って
います。今は日本語プログラムのボランティアに加わったばかりで、この体験がPRの仕事に
つながる可能性は未知数です。ステーション・マネージャーのPeter Rohwederさんによれば、
今後2年間で建物の拡張や備品の充実などを予定されているそうなので、4EBの発展に向けて
何らかのかたちでPRのボランティアができたらと希望をもっています。
 

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Media, ICTs and Social Change のコースにて
 

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ステーション・マネージャーのPeter Rohwederさん
 

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日本語プログラム収録の様子


これから留学を考える方へ

留学は人生の中で大きな決断の一つであることは間違いありません。真剣に悩むほど実際
体験した人の声を聞きたいと思うものです。私の場合は、在日オーストラリア大使館のHPから
クイーンズランド大学の同窓会が日本にあることを知り、日本を出発する前に様々な方とお会い
し貴重なお話を聞くことができました。渡豪後も、この出会いに支えられて今があります。残り
1年の留学中に、また皆さんに情報をお届けすることができれば嬉しいです。

ひと味違った留学

昨年に引き続き、韓国の成均館大学より、16泊17日の文化・スポーツ交流プログラム(日中韓Global
Pioneer Spirit Walkathon)へ本学学生が招待を受け、早稲田からは19名の学生が参加しました。
韓国の成均館大学、中国の北京大学、日本の早稲田大学の学生が一堂に集まり韓国南部の木浦から
釜山までの300キロを1日25キロほどの行軍を通じて、アジアの平和を考えていくという趣旨のイベント
です。昨年は一参加者として、そして今年は早大学生リーダーとして参加した江口雄磨さんの体験談を
お届けします。



Profile

氏名:江口雄磨
所属:政治経済学部4年
プログラム期間:2013年8月4日~20日
 

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真ん中に江口さん


僕は今回、日中韓Global Pioneer Spirit Walkathonという昨年から早稲田大学が招待を受けた
プログラムの早稲田チームのリーダーを務めた。このプログラムを一言で表現することは難しい。
あえて言えば、「過酷」。更に言うと「日中韓の大学生が寝食を共にして協力しながら、約2週間で約
300kmを歩く」というプログラムだ。なかなか響きはいいかもしれないが、そう一筋縄に行くようなもので
もない。数々の修羅場をくぐりぬけた学生は2週間でたくましく成長し、今年も数々のドラマが生まれた。

「このプログラムは韓国の軍隊よりきついね。」と笑いながら、ある韓国人参加者が言った。僕自身も、
これまで過酷な環境の下、中東・アフリカ・東南アジアなど世界中を一人で旅してきたが、これほどまでに
衝撃的な旅はいまだかつて経験したことがなかった。僕は、留学センターが提供する他のプログラムに
参加したことはないが、このようなプログラムは日本中どこを探しても見つからないだろうし、「心・技・体」
全てにおいて、このプログラムを超越するものはないだろう。
 

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行軍中

真夏の灼熱地獄の中、1日25km歩くだけでも大変なことだが、このプログラムは24時間気が抜けない。
「やっと、今日も歩き終わった。」とホッとしていると、1グループ制限時間8分で、コールドシャワーを使って
体を洗い、洗濯物も済ますというミッションが待っている。また、「お腹空いたなぁ。」と言って、勝手にコン
ビニへ行って、おにぎりやパン、飲み物を買うことも許されない。基本的には、出されたものを3食しっかり
食べる。「私は、キムチが嫌いだから。」などと好き嫌いも言っていられない。極めつけは、夜はたいがい
クーラーのない狭いところに押し込まれ、雑魚寝。ルールに違反した者に対しては、チームで連帯責任
としてペナルティが課されるというストイックな環境の中で、根性も鍛え直される。
 

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仲良く雑魚寝

同じ東アジアの仲間とはいえ、言語や価値観の違う仲間が四六時中、同じ方向に向って歩き、同じ釜の飯
を食べ同じ屋根の下で生活していれば、当然トラブルも生じる。そうした中で、僕は大きく3つの教訓を得た。

1つ目は、何といってもこのプログラムを乗り越えたことで、これからどんな困難にも立ち向かって行く度
胸がついたこと。腹痛、頭痛、ストレスに悩む人、アキレス腱が切れそうになる限界に達しても、「何として
でも完歩するぞ!」という強い心を持って歩き続けた人もいたが、やはり最後は自分との闘いである。

2つ目は、英語はあくまでツールにすぎない。このプログラムの公用語は英語だったが、1グループ12人の
うち、8人が韓国人、日本人、中国人が2人ずつというメンバー構成のため、日本人や中国人はマイノリティ
となってしまい、韓国語が公用語になってしまうシーンも見られた。そうした中で、英語を使ってどのような
ことができるのか。問われているのは、そのコンテンツだということを再認識した。

最後は、300kmを歩き抜くという共通の1つの目標に向かって、日中韓の学生がスクラムを組み、同じ
ベクトルを向いたことで国境を超えた熱い絆を手に入れることができた。昨今、政治的な関係が冷え
込んでいると言われているだけに、次世代の国を担う若者が、本気で手を携え困難を乗り越える経験を
したことは、非常に価値のあることだ。
 

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Mt. Jiriでの頂上で早稲田チーム

どのプログラムも、別れの瞬間は残酷だ。一瞬、幸せそうに見える出会いの瞬間も別離の始まりなのだ。
最終日、早稲田チームのほぼ全員が、帰りのバスが動き出してからも泣き続けていた姿が僕の頭から
離れない。このプログラムは、楽しいだけでは済まされない「過酷」なプログラムである。だからこそ、涙の
背景には、辛い時、苦しい時、うれしい時を共有した仲間に対する様々な感情がうごめくのであろう。
やはり、このプログラムの醍醐味は、数々の試練に耐え、最後まで残った者にしか分からない。こういう
留学の形もある。
 

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最後の別れ

ゴア大学チョウグルカレッジ短期留学プログラム14日間 ~ 「わたしは何を出来るのか?彼らは何を出来るのか?あなたは何を出来ますか?」

Profile
氏名: 中村 未来 (ナカムラ ミキ)
所属: 国際教養学部 3年 (2013年2月留学派遣時)
インド滞在期間: 2013年2月6日~19日
 

IndaiG.jpgのサムネール画像

一列目、左から2番目

わたしは、もともとインドの食に興味があり、人生一度はインドへいってみたいと思っていた。本場のインド
カレーを食べてみたい、という小さな夢を叶えるために、この留学プログラムに申し込んだ。そんな軽い気
持ちで申し込んだプログラムだったが、最終的に、わたしの心を大きく変えてくれる貴重な経験となった。

1. チョウグルカレッジでの授業 ~インドの言語体系~

チョウグルカレッジでは、ゴアの料理・舞踊・宗教・言語・歴史について学んだ。中でも最も印象に残って
いるのは、言語に関する授業だ。インドの人々は、国の共通語であるヒンディー語、英語、そして州独自
の言語(State Language)の三つの言葉を学校で学習し、巧みに話すことが出来る。州独自の言語は、
その州に住む人なら、若者から老人まで、誰もが話すことができる。なぜ、州独自の言語というものが
存在するのか。その答えは、インドの歴史にある。インドという地域は、植民地時代以前、“個々の言語を
使用するコミュニティーが複数存在する場所”にすぎなかった。しかし、イギリスによる植民地支配が始
まると、それらのコミュニティーは「インド」という一つのかたまりに、イギリスの統治によってまとめられて
しまった。インド人にとって、「インド」は故郷であって、故郷でない。あくまで、「インド」は複数の州の集合
体に過ぎない。彼らの故郷は、自分の州である。今でもなお、各州に住む人々は自分たちの州に誇りを
持っている。そして、州独自の言語(State Language)にも誇りを持っている。植民地支配が終わって
「インド」としてまとめられた今でも、州に住む彼らの誇りは、美しく残り続けている。その誇りが、州の言
葉を残し続けてくれている。

この、インドという国の成り立ち・言語体系が、日本とは大きく異なるため、わたしには、とても興味深かった。

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2. デリー・アグラでの体験 ~貧富格差~

ゴアのチョウグルカレッジの学生たちから、たくさんのあたたかい優しさを受け取ったあと、わたしたちは
デリーとアグラに観光のために向かった。そこには、タージマハルやアグラ城といった、世界でも有名な
遺産が多くあった。

わたしはこれまでに、タイ、ベトナム、チェコ、ハンガリー、オーストリアで観光をしたことがあるが、インド
でみた光景が最もショッキングだった。心と目と頭に、焼き付いて離れない光景が、そこにはあった。

タージマハルやアグラ城の周りには、必ず、物乞いの人々がいて、彼らは観光客と目が合うと、手を差し
出して金銭を要求する。物乞いの人の多くは、老人や小さな子供たちだ。動く体力はないけれど手だけを
差し出して「money」とつぶやくおばあさんもいた。ずっとわたしたちの後ろをついて離れない、片手のない
子供もいた。手足に障害があり、四つん這いでしか歩けないおじさんもいた。お腹をすかして、「Hello,
Hello」と繰り返し、繰り返し、わたしたち日本人に叫び続ける小さな女の子と男の子の兄弟も居た。両足
が無いにも関わらず、必死にわたしに近づこうと頑張って動こうとしたおじいさんもいた。わたしは、彼らと
目が合うたびに、彼らをみかけるたびに、彼らに声をかけられるたびに、心がとても痛んだ。

物乞いの人々に比べて、チョウグルカレッジに通う学生たちは、とても裕福な家庭に育ったのだろうと
思った。物乞いの人々と、裕福な家庭に育った人々の瞳は、ちがう。(決して、物乞いの人々に優しさや
思いやりがない、と言いたい訳ではないが)裕福な生活をしている人には、優しさや思いやりを他人に
与えるだけの心の余裕と、人間としての尊厳とプライドがある。物乞いの人々にわたしたちが与えるべき
ものは、その日限りの金銭や食べ物ではなく、人間としての尊厳とプライドなのではないだろうか。その
日食べて終わってしまう一切れのパンは、彼らが生きる上で、とても重要だ。しかし、そのパンが、彼ら
の人生を救う訳では無い、彼らの人生を変える訳では無い。では、わたしは、彼らに何を与えることが
出来るのだろうか。彼らは、自身の人生のために何をすることが出来るのだろうか。わたしはこの14日間
のプログラムを通して、ずっと、この貧富格差について考えていた。日本では、飢餓や貧富格差なんて
他人事のように感じていたが、インドにいくことによって、肌と目と心で、様々なことを感じた。とても貴重で、
忘れられない経験となった。絶対に、絶対に、忘れてはいけない経験となった。

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3. 今後について

短期海外留学がこんなにも、自分の人生観と心に、衝撃を与えるものだと思っていなかった。帰国して
から、世界をみる自分の目が変わった。ぜひ、大学在学中に、別のプログラムにも参加したいと思った。
さらに言えば、海外ボランティアにも興味がわいた。わたしがインドの人々からもらった優しさと思いやりを、
もらうばかりではなく、今度はこちらから何かを与えたい。そう思うようになった。地球はとても広くて大きい。
わたしたちが、水や食べ物に困らない生活を送っている瞬間にも、地球のどこかで誰かが飢餓や病気に
苦しんでいる。その現実を、決して忘れてはいけない。そう強く思った。この14日間のインドプログラムに
参加できたことは、わたしの人生の大きな財産になった。

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4. 最後に、読んでくださったあなたに

この文章を最後まで読んでくださって、ありがとうございます。ありがとうの気持ちでいっぱいです。わたし
は、この文章に「わたしには何が出来るのか?」という思いを込めたと同時に、読んでくださる方に向けて
「あなたには何が出来ますか?」というメッセージを発信しているつもりです。ぜひ、一緒に、考えてください。

「自分に何が出来るのか?」

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