
Profile
氏名:藤本 彩子
早稲田大学在学期間 : 2008 年 ~ 2011 年
早稲田大学在学時の所属 : 文学部
早稲田大学 在籍時の専門分野 : ドイツ語ドイツ文学コース
<ボ ランティア参加のきっかけ>
3月11日、私は東京で大きな揺れを感じた後、テレビを点けて愕然としました。私の出身地、岩手県は地震と津波の被害 を大きく受けていました。それからずっと「同じ岩手県民として、地元のために何かしたい」と考え、就職活動も一段落した夏休みにボランティアに参加することにしました。
<現地へ行って>
私が向かった陸前高田市は、 もともとは大きなスーパーや病院などがあり栄えている町でした。ところが現地へ着くと、視界に飛び込んできたのは全く何もない風景。かろうじて残った表札 を見て、「本当にここに人が住んでいたのだ」と実感しました。また、海だと思って通り過ぎた場所も、もともとは博物館がある陸地だったという話を聞き、 ショックを受けました。
私達が今回行った作業は、田んぼの草刈りとがれき撤去です。広い田んぼでの作業はなかなか進まず、「自分のしている事は 本当に役に立つのだろうか」と何度か考えてしまいました。しかし、お皿や人形、学校の教材など被災された方の思い出の品を田んぼから見つけた時、ふと持ち 主の顔が浮かび、「時間がかかっても必ず復興させなくては」という気持ちに駆られました。最終的に田んぼはかなり綺麗になり、意味のある作業をすることも 大切ですが、わずかでも一人一人が何か作業をすることの重要性を感じました。
<ボラ ンティアを終えて>
ボランティア参加後は、周りの人達に現地の現状など伝えてきました。しかし「大変だったでしょう」「偉いね」といった他人事 のような言葉を受け、少し困惑しました。同時に、もっと一人ひとりが、ボランティアや復興に関われるようにしていく必要性を感じました。「伝えること」は 大切ですが、ボランティアに参加しやすいサービスやシステムの充実といった周囲の環境も大切です。
私がボランティアに参加した目的は、被災地の 現状を知る、といったことでした。実際に行かなければ、被災地では今何が求められているのか分かりません。私達が被災地へ向かった時、がれきはある程度整理されていました。今後は、肉体労働よりもメンタルケアが重要になってくるでしょう。そういった変化に気が付くためにも今後も継続して、ボランティアに参加するつもりです。
来年度から私は、東北をメイン市場とする企業に入社しますが、この経験を活かして東北の人々が求めるものを提供し、また他県 の人々が東北に足を運びたくなるサービスを考えて行きたいと思っています。


Profile
氏名:鹿熊 健(かくま たけし)
早稲田大学在籍期間:2008年4月~
早稲田大学での所属:国際教養学部4年
私は、2009年夏から2010年初夏までの約10ヵ月間、アメリカに交換留学をしていました。留学中のことについては、当ブログに掲載されている「アメリカ留学体験記」(Friday, Jun 03, 2011投稿)で書いているので、ぜひそちらもご覧になっていただければと思います。ここでは、帰国後の就職活動について書かせていただきます。
【就活!】
2010年夏、一部企業が英語の社内公用語化を実施すると宣言し世間を騒がせていたが、留学を終えた私にとっては、これから始まる就職活動において追い風となるニュースに思えた。事実、秋から始まった企業説明会に参加してみると、どの企業も、内需が頭打ちの日本企業が今後生き残っていくにはどんどん海外に進出していくしかない。これからは「グローバル化」の時代であり、果敢に海外へ出ていくための「チャレンジ精神」や「タフさ」、異なる文化の多様性を認める「寛容さ」などが、今の学生には求められると語っていた。そしてもちろんスキルとしての「英語力」というのも大きなプラス評価となるようであった。ちなみに、私の英語は、一年間の留学を終えた時点でも、現地の人たちや帰国子女には遠く及ばないものだった。だが、TOEICなどの資格試験では、それなりに立派なスコアが取れていたのだ。そして、実際に2011年春に選考が始まると、やはり自分の経歴はそれなりに評価されるようで、失礼ながらなんとなく受けた企業、たいして準備をしていない企業でも、1次面接、2次面接はあっさりと通過していった。個別のリクルーター面談などの声もかかることもあったりして、私の就職活動は安泰かに思えた・・・。
【落とし穴】
だが、そのあとに大きな落とし穴が待っていた。選考が進むにつれて、自分の考えの甘さが見えてきた。選考では、自分の経歴、海外留学の経験や、ボランティア団体でのイベント運営の経験などを面接官は、ある程度評価してくれている。だが、私は、「その企業で何がしたいのか」、「仕事を通じて何をしたいのか」という、自分のキャリアにとってもっとも重要な問いに対しての答えを十分に用意が出来ていなかった。面接でもっとも熱意をもって語るべき内容を、私はいつも歯切れ悪く話すばかりだった。その結果、選考の初期段階は通過できても、最終面接、内々定には至らないという状況が続き、受験企業も気が付くと残りわずかとなっていった。
【自分と向き合う】
2010年10月に就職活動を開始して以来、OB・OG訪問や企業説明会などを通して企業や業界についての知識は蓄えていったが、私は肝心の自分自身についての分析を怠っていた。いわゆる自己分析というものもやってみたが、自分の弱い部分・嫌な部分ばかりが見えてきてしまいそうで、しっかりと取り組んだことはなかった。自分と向き合うことをずっと避けていたのだ。だから、面接で自分自身について、将来のキャリアについてなどを聞かれても、なんとなくもっともらしい、どこかで聞いたことのあるような言葉を言うばかりであった。私自身、自分が話していることを内心では「本当にそうだろうか?」と疑っているわけだから、当然その自信のなさが相手へと伝わる。それではやはりダメなんだということに、選考に落ち続け追い込まれてからようやく気付いた。
それからは、もう一度自分自身について考えてみた。今度は見栄を張ることをやめて、正直に行こうと思った。それまで私は、自分を捻じ曲げてまで相手に評価されやすそうな自分像を必死に作ろうとしていた。だが、それではうまくいかなかった。心にもないことを、熱意を持って語るのは難しかったのだ。今度の自己分析では、大学時代のサークル活動、留学、バイトなどだけにとどまらず、小・中学校の頃にもさかのぼって印象的な出来事を思い出したり、家庭環境や友人関係にも目を向けたりと幅広く取り組んだ。恥ずかしい失敗や、情けない出来事を思い出すのが嫌で過去を振り返るのを避けてきた私だが、いざ振り返ってみると嫌な思い出は意外なほど少なかった。それよりも楽しかった出来事や頑張った思い出がたくさん出てきた。なんだか「案外、おれ頑張ってきたじゃないか」と思えた。面接に落ち続けて落ち込んでいた私だが、もう一度ポジティブな気持ちになれた。それから、自分がこれまでどんなことをしてきて、どんなことを大切にしてきたか、そしてこれから何を成し遂げたいのか、ということをもう一度考えてみた。今度こそ熱意をもって、自分の思いを伝えようと心に決めた。
【ゴール!】
そして、7月13日(水)の夕方、ゼミの授業中に人事の方から内々定の連絡の電話をいただいた。廊下で思わず小さくガッツポーズをした。その後、すぐに家族や友人、OB訪問をさせていただいた先輩方などに報告し、皆からあたたかいお祝いのお言葉をいただいた。こうして、約10カ月におよんだながいながい就職活動をようやく終えることができた。
今回の就職活動は、震災の影響もあり、変則的なスケジュールで長期間にわたって活動しなければならなかった。だが、その分例年と比べてじっくりと腰を据えて考えることができたという点ではよかったと思っている。
最後に、就職活動がうまくいかない時期も変わらずに、接してくれた家族や友人、先輩方などには心から感謝している。来春から働く電機メーカーでは、インフラ関連の事業部を志望している。そこで、日本や世界の未来のために、そして、お世話になった人たちのために、すこしでも自分が貢献できればと思う。
【おわりに】
ここでは上手くいかなかった面ばかりを書いてしまいましたが、実際はさまざまな会社や業界を知れえて非常に面白かったですし、OB訪問に行って先輩にご飯を奢ってもらえるなど楽しいこともたくさんありました。また、将来についての悩みを友人と語り合ったのも今となっては良い思い出です。こうして自分を見つめなおす機会というのは就職活動を除いてそうはないと思うので、苦しいけれど一度は味わって損はなかったと思っています。・・・ただし、一度で十分!笑。
ご拝読いただきありがとうございました。
私の就職活動スケジュール
2010年10月 就職活動開始、企業説明会やOB訪問を始める。
2011年2月 企業へのエントリーが本格的に始める。
2011年3月 震災の影響で、選考スケジュールが大きく変わる。
2011年4~5月 一部の企業で選考が開始する。
2011年6月 大手企業の選考が一斉に開始する。
2011年7月 内々定
