- May 14, 2012
就職活動体験談~第一志望の企業の内定をもらうことは夢ではない~ - May 10, 2012
就職活動体験談~自己分析とは、「自分を創る事」~ - May 08, 2012
ピアノライン~シアトル留学記~ - Mar 23, 2012
世界のトップ人材のレベルははるかに高い。だからこそ世界と闘っていくためには、野心と向上心をもとう。 - Mar 16, 2012
今の日本人パスポートは天から降ってきたわけじゃない。未来の日本人へのリスペクトを賭けて戦え
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就職活動体験談~第一志望の企業の内定をもらうことは夢ではない~
Monday, May 14, 2012
Posted in Career
就職活動体験談~自己分析とは、「自分を創る事」~
Thursday, May 10, 2012

Profile
氏名:鈴木 砂波 (すずき さなみ)
早稲田大学在籍期間:2009年9月~
早稲田大学での所属:国際教養学部 3年
私の就職活動スケジュール
2011年7月:インターンシップ参加開始。様々な業界のインターンシップに参加する。
2011年9月:合同説明会が始まる。
2011年12月:就活解禁!一気に企業の説明会やセミナーが始まる。
2012年2月:大手企業へのエントリーが本格化。2月の後半がエントリーシートピーク!
2012年3月:選考(筆記試験、面接等)開始
2012年4月:内々定
内定先
外資系の食品メーカー
【働くことへの想い】
9月に国際教養学部に入学した私が入学時に決断したことは、「留学に行くかわりに早期卒業をする!」なぜか?18年間外国に滞在し、5カ国を転々としてきた私は自信を持って日本人だと言えなかった。だからこそ「一刻も早く社会人になって自分の存在価値を高めたい」と思った。こんな気持ちを抱いて私は就職活動を迎えた。
【「就職解禁」!説明会、そしてESラッシュ!】
優柔不断な私はやりたい事を見つけるのに時間がかかるだろうな、と確信していた。そのため、7月からインターンシップに参加して仕事の理解を深めていった。教育からコンサルティング、旅行会社・・・色々と参加した。しかし、この段階で志望業界を絞ることはできなかった。そんなこんなで迎えた9月。日系企業の合同説明会が始まり、私は名を知っている大手企業ばかりを見てまわった。12月に一気に日系の会社説明会やセミナーなどが始まり、私はとりあえず約150社にエントリー。2月にエントリーシート(ES)ラッシュが訪れ、毎日3枚は書く日々。ちなみに、私ははじめ、就活に対して強気だった。日本の市場の飽和により企業は海外に展開。だからこそ自分が海外経験で培った能力は絶対に活かせると確信していた。就活を甘く捉えていたと気づいたのは3月だった。
【欠点】
海外での経験もあってか、ESと1次面接はトントン拍子で通過。しかし、2次面接では必ず聞かれるある質問に常に戸惑いを感じてしまっていた。「志望動機」だ。1次面接では今まで努力してきた事、能力について問われるが、2次面接では「本当にこの会社なのか」を確認しにくる事が多い。ここで、私はいつもこけてしまっていた。完全に就活のための着飾った私で志望動機を話していた。心がこもっていないからこそ熱意も伝わらない。色んな企業を受けているからこそ知識が乏しく、他社との差別化も言えない。2次面接で落とされてしまう事態が続き、戸惑ってしまった。
【自分を構成】
こんな時に、ある会社のリクルーターの方と出会った。インターンシップやセミナーなどでお世話になっていた会社だったが、色々と就活に対しての不安を聞いてくださった。彼と話していくうちに、自分の事をどれだけ理解していなかったのかを思い知らされた。これをきっかけに、もう一度仕切り直し、自分の過去について掘り下げた。具体的な内容は長すぎるため書けないが、そこから「日本を活性化したい」という目標が浮かび上がった。このおかげで、2次面接、最終面接へと進む事ができた。自分という人間について考え、将来やりたい事に繋げる大切さというのを理解できた。
【迷い】
私の就活は4月26日に終わった。この日は私にとって忘れる事のできない日だろう。最終的に、私は2社と迷った。食品メーカーとリクルーターの方でお世話になったコンサルティング。まるで異なる業界だが、私の中では筋が通っていた。人々の日々の生活に貢献し、世界中にも届ける事のできる食品と日本の企業を真の意味で変革するコンサル。どちらも「日本活性化」は可能だ。この時、私は一人の社員として、働いているイメージをしてみた。社員の方から感じた社風、仕事内容などを比べたが、それでも迷った。最後には、『勘』に頼った。「なんと非常識な選び方を」と思われるかもしれないが、「勘」というものは信頼できると思う。比べられるものを比べてもまだ迷っていたら、頼れるものはもう勘しかないのだから。26日に私は外資系の食品メーカーに決断した。9カ月に及んだ私の就活は幕を閉じた。
【振り返って】
やっている最中は辛いという想いが強かった。自分を理解してもらえない悔しさ、周りが決まりだした時の慌てる気持ち。それでも、就活は私にとって本当に『成長』そのものだった。成長と書くと茶番に聞こえるが、本当にそうなのだ。自分の考えを言語化できるようになり、論理的に話せるようになった。自分に対しての新たな発見をする事もできた。就活中に気づいた事が、自己分析とは自分を振り返るのではなく、「自分を創る事」。就活前に自分の事を理解して突き進める人もいるが、私は、大半の人は就活を通して自分を理解していく事の方が圧倒的に多いと思う。もう一つ就活の特権は『出会い』だ。リクルーターの方の存在は私にとって本当に大きかったし、今でも心の底から感謝している。その他にも就活で出会った友達、人事の方、にもとても感謝している。
【メッセージ】
これだけは大切にしてほしいです。自信を保ち続ける事。もちろん、選考に落ちてしまう企業もあるだろう。その時、自分を責めてしまう事があるかもしれない。しかし、企業は利益を得るのが目標のため、採用は戦略の一つとして捉えている。その年に採用する人の人数やタイプなどをあらかじめ決めている企業もある。そのため、落ちたからって「認められなかった」と思う必要は全くない。自信を持ってください。そして、自己を構成してください。熱くなれる仕事、環境を探してください。壁にぶちあたって迷ってください。人に相談してください、自分の決断を信用してください。皆様が「ここだ!」と言える企業と出会えますように。


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ピアノライン~シアトル留学記~
Tuesday, May 08, 2012
Profile
氏名:池津 祐樹(いけつ ゆうき)
早稲田大学在籍期間:2007年4月~
早稲田大学での所属:国際教養学部6年
留学先:ワシントン大学(アメリカ・ワシントン州シアトル)
2010年9月から約1年間、僕はアメリカ西海岸最北の州であるワシントン州の、シアトルという街に留学していました。当時大学4年生だった僕にとって、留学をすることは大きな決断でした。留年することや就活への不安も多少はあったのですが、海外で自分の力を試すチャンスはもうないかもしれないという思いが、一度は断念した留学へ僕を駆り立てました。
「留学をする」ことは何が良いのでしょう。僕は現在学部6年生ですが、幸い複数の企業から内定をいただくことができ、充実した日々を過ごしています。その全てが留学のおかげだ、というのは言い過ぎかもしれませんが、あのとき留学をする決断をしなければ今の自分はなかったのではないかと思います。
留学前と今とで何が一番変わったのかというと、それは「自分の人生に自分で責任を持つ姿勢」だと思います。僕は2歳から中学卒業までの間に、3ヶ国に合計10年ほど住んでいました。こう話すと多くの人は僕のことを立派なグローバル人材だと思ってくれるのですが、以前はそう言われることに対して少なからず納得のいかない部分がありました。なぜなら、その当時は海外に住むことに対して自分の意思は全くなく、親に連れられるがままあちこち渡り歩いていただけだという気がしていたからです。
僕の留学は、自分のアイデンティティについて、海外で暮らすことについて、そしてグローバル人材としての資質について、自分自身に決着をつけるためのものでした。
そんな僕にとって留学中の一番大切な思い出は何かというと、平凡ですが友人たちと一緒に過ごした時間です。
僕の留学中の忘れられない思い出、それは友人の寮の談話室で、何時間も他愛の無いお喋りに花を咲かせていたときのものです。$1で買ったとてつもなく大きなアイス(アメリカン!)をみんなで分け合い、いつも飽きることなく何時間も話し続けました。僕たちは部屋の片隅のソファに陣取り、周りでは他の学生たちが思い思いのことをしていました。同じように談笑している人達もいれば、勉強をしている人や読書をしている人もいました。そして、そこではいつも誰かがピアノを弾いていました。僕の知らないメロディは静かに部屋の中に響き、まるでお洒落な喫茶店にでもいるような気分になったものです。
談話室で友人たちと一緒に
こんな日常の何気ないシーンが、今になってとても幸せな時間だったと感じます。留学中には日本ではできない様々な体験をしました。到着2週間でカナダに旅行をしたり、ハロウィンではいい歳をして仮装をしてみたり、二度もイチローの試合を見たり、テスト前は10時間くらい図書館で勉強していたのも良い思い出です。だけど、今留学を振り返ってみて、なぜか一番思い出すのはあの談話室の風景なのです。
留学を通してもうひとつ学んだこと、あるいは再確認したことは、人と人との繋がり、絆についてです。留学は、人は一人では生きていけないという、そんな当たり前のことを気付かせてくれる貴重な機会だと思います。未知の環境で自分を支えてくれるもの、それは家族や友人の温かい言葉であったり、ときに優しく、ときに厳しく導いてくれる教授の存在であったりすると思います。僕はシアトルで、どれだけ高い目標を持っていても、誰かの助けなくしてそれを達成することは難しく、同時に一人で頑張ることは虚しいことだとも感じました。あの街で僕と関わってくれた全ての人たちへの感謝を、僕は生涯忘れることはないでしょう。
これを読んでいる方の中にもしこれから留学することを考えている方がいたら、覚えておいてほしいことがひとつあります。それは、留学をするだけで何かが変わることはない、ということです。大切な思い出や自信、経験というものは向こうからやってくるものではなく、毎日少しずつ積み上げていくものです。どんな瞬間の何が大切だったのかは、振り返って初めて分かることであって、その渦中にいるときは意外と気付かないものだと思います。だから、どんな瞬間も逃さないように、ひとつの出会い、ひとつの努力、ひとつの涙を大切にしてください。
毎日を120%楽しむこと。それが、留学を120%有意義に過ごす秘訣ではないでしょうか。全力とは何か、そして何を成功と呼ぶか、決めるのはあなたです。留学に正解はありません。自分がやりたいことを、やりたいだけチャレンジしてみてください。恐れることは何もありません。自分が望めば、そして行動すれば、僕たちは何にだってなれるし、どんなことだって実現できるのです。そう心から信じること、それが自分の人生に責任を持つことだと僕は今強く思っています。
余段ですが、当時仲の良かった友人たちとは、今でもスカイプを通じてやりとりをしています。便利な世の中になったもので(なんて言うと6年生はジジくさいと思われるかもしれませんが)、僕たちは望めばいつだって繋がっていられます。みんなで日時を示し合わせ、僕は時間の5分まえくらいには待ちきれずにスカイプを立ち上げ待機しています。アメリカ人のわりに時間を守る(と言ったら失礼ですが)友人たちは、すぐに続々とやってきます。そして、一言。その瞬間、僕たちはいつでもあの談話室に戻れるのです。アイスを食べながら語り合った、誰かの奏でるピアノが静かに響く、あの談話室へ。あの日の僕たちの思い出は、これから先ずっと僕のことを励まし、奮い立たせてくれるでしょう。
Posted in Study Abroad
世界のトップ人材のレベルははるかに高い。だからこそ世界と闘っていくためには、野心と向上心をもとう。
Friday, Mar 23, 2012
ICC Web Magazine
[リサーチプロジェクト グローバル人材とは?]
Profile
氏 名:柴崎洋平
現在の所属・資格:フォースバレー・コンシェルジュ株式会社 代表取締役
1975年生まれ。上智大学 外国語学部 英語学科卒業。大学卒業後は、ソニー(株)、ソニー・コンピュータエンタテインメントに勤務。2007年9月に円満退社し、同年11月、フォースバレー・コンシェルジュ株式会社を設立、代表取締役に就任。
常に新しいこと、わくわくできることをやるのが面白い
どのような学生時代を送られていましたか。海外を意識し始めたきっかけは何ですか。
大学時代は、午後の3時から夜遅くまでアメリカンフットボールばかりやっていました。昼間もあまり授業に出ないで、留学生との交流サークルを立ち上げました。国際的なイメージを抱いて上智大学に入ったのですが、当時はキャンパス内にほとんど日本人しかいなかったんですよ。市ヶ谷キャンパスには留学生はたくさんいたのですが、彼らともっと交流しないとこの大学に入った意味がないぞと思って、行ったり来たりで毎日留学生とランチを食べて過ごしていました。アメフトの練習にオフがあると、留学生と一緒に旅行にも行きましたね。いつ頃から海外を意識し始めたのかと言いますと、幼少時代はイギリスで過ごしたんですね。その時代があったからでしょうね。自分の中で将来は世界を舞台に活躍したいなという思いは小さい頃からなんとなくありました。年齢が上がるにつれてその気持ちが大きくなり、大学もそのイメージで選びました。就職のときも日本でグローバルな企業と言ったときに、僕の中ではソニーしか思いつかなかったんですね。世界で活躍したいという夢を持ってソニーに入りました。
今はどのようなお仕事をされていますか。
僕たちがやっているのは、日本を代表するグローバルカンパニーが、全世界から優秀な人材を新卒で採用するというビジネスのサポートをすることです。例えば、就職活動のイベントを開いたりキャリアカウンセリングをしたりしています。というのは、ソニーにいた時代に一番感じていたのは、世界の人材レベルの高さだったんです。エンジニアリングは日本も強いのですが、経営企画やマーケットなどの分野のプロフェッショナリズムのレベルの高さというのは、毎回完敗ですよね。とにかくすごい人をたくさん見たので、こういう人たちを日本のグローバル企業の本社に集めたいと思いました。世界のグローバルスタンダードと日本の働き方は真逆なので、求職中の外国人学生には徹底して伝えています。今世界30カ国以上700大学と連携が取れていて、リサーチをしながら世界中のネットワークを作っています。人材業界はもともとドメスティックな産業でしたが、全世界をシェアに入れればまったく違うマーケットになると思いました。これはやっていてわくわくするし、国際交流にもなるので、インパクトのある新しいビジネスモデルだと思っています。今は外国人に特化するのをやめて、世界の優秀層を扱う会社というのを目指しています。
外国人の方と仕事をする上で心がけていることはありますか。
まず一つは日本人だろうが外国人だろうが、まったく同じ扱いをするということです。そして、あまりにも日本的になってもいけないので、なるべくグローバルスタンダードにマッチした形に持っていく、というこの二つですね。外国人に気を遣いすぎた待遇をしてしまうと逆に日本人社員のほうに失礼になってしまうということもありますよね。会社には本当にいろんな人がいますからね。会社の設立当初もアルバイトスタッフとして留学生を雇いました。ビジネスを立ち上げるために知能を貸してほしいと呼び掛けたらすごい数が集まったんですよ。外国人のためのビジネスをやるんだったら、外国人が周りにいて、彼らの意見を常に聞いて、外国人と一緒に考える外国人向けのビジネスというのを僕は意識していました。
日本の新卒は世界一ゆるい。新卒の学生もまだまだ未熟
日本人学生が内向きだと言われていますが、それについてはどのようにお考えですか。
日本人学生全体を見たら、内向き志向がやや上がっているかもしれません。でも僕が付き合っている日本を代表するような企業に入る学生たちにそのような傾向はまったく感じません。僕が毎日接している日本を背負うような学生にその内向き志向というのが強まっているともまったく思っていません。全員がグローバルになる必要はないですから、世界に飛び出していくトップ層に関しては、そのような意識は全然生まれていないと思いますね。そして、内向き志向だと言われているのは学生のせいではなく、日本の企業、社会の責任だと思うんです。日本の古い企業体制や制度が逆に日本の学生に悪影響を与えていると僕は思っています。一括採用をなくしたら、留学する人も増えますよね。そして、海外のようにインターンシップを経験してお互いがマッチングすると採用されるという直結型の採用ができたら、日本でも1dayばかりではなく長期のインターンシップが増えますよね。日本学生の内向きよりも日本のプレゼンスの低下のほうがはるかに悪影響だと思っています。
柴崎さんには今の大学生はどのように映っていますか。
これに関して言えるのはまず日本人学生と世界の学生との比較ですね。世界中の学生を見てきた中で、日本は圧倒的に競争がゆるいです。これは勉強に限らずあらゆることにおいてです。要するに日本の新卒というのは世界一ゆるいんですよ。日本の就職活動が社会問題になっていますが、内定率の低さは世界一ゆるいです。国中をあげて新卒採用をやる国は日本以外ないですよ。例えば韓国の新卒は転職組とも闘うので、学生が勝てるわけがないですよね。日本は一括採用があるから実際はものすごく楽だし、長期採用の文化なので、採る数もものすごく多い。しかし、グローバルスタンダードは正反対で、海外だとトップ層の新卒が最初に入った会社にいるのは平均で3年間なんです。海外でトップ企業に入るためには能力が問われるので、みんな専攻がかなり就職に直結するし、インターンシップも半年から1年は必ずやっています。彼らはビジネスの世界で自分がどう活躍できるかとか将来のビジョンとか全部がはっきりしています。日本でそういうことを考えている人は皆無に近いですよね。常にプレッシャー下に置かれながら一社会人になるための鍛錬がされている海外のトップ人材と勝負していくのは大変です。だからいろんな面で日本の大学4年生というのは世界の中で未熟な部分が多いですね。
大学時代の過ごし方によって将来に対する意識が変わる
将来世界と闘っていくために、学生時代にやっておくべきことは何だと思いますか。
僕がいつも言っているのは、アジアのトップスクールへの留学です。アメリカに留学に行く人はまだ多いと思いますが、語学留学プラスアルファというのが多いですよね。もちろん欧米の学生と交流することも素晴らしいことですが、ビジネスのマーケットはこれから完全にアジアだし、アジアの人材と触れるというのはビジネスの中ではものすごく価値があります。僕はそういう観点でお勧めしています。トップスクールだとやはりそれなりの人材がいて、その国のリーダーになる人がいるので、国によって強い産業の大学や大学院に行くのは面白いと思います。あとは月並みですが、学生時代に発展途上国を旅してみることですね。最後にもう一つは、企業での就業経験ですね。夏休み1カ月くらいを利用して企業の長期インターンシップに挑戦して、自分のビジネスセンスを早いうちに確認しておくということは大事な作業だと思います。そうすると将来の自分のキャリアと残りの大学生活をすごくリンクさせて活動できるんです。課外活動を通して意識が変わってくるはずです。そして、やはり大学や企業がそういう環境を与えないといけないとは思いますね。
柴崎さんにとっての「世界に通用する高度人材」とは何ですか。
世界のトップを目指す人だと思っています。トップというのはいろんな意味がありますが、とにかく高みを目指すということですね。こういう人材がこれから求められると思います。トップに行くという思いとその思いの強さ、これが一番大事だと思います。どんなに優秀でも心が弱い人は上には行けないですからね。心が強い人は努力をするので、必ず上に行きます。僕が今まで出会った中で、優秀だなと思った学生は例外なく強い野心を持っているんですよね。「僕はこんな感じでいいんです」という人は一人もいない。彼らは、こうやって自分の国を、世界を変えたい、というような大きな野心や想いがあります。そして、言語だけができる人がグローバル人材ではないですよね。英語ができるというのはもちろん必須にはなりますが、言語ができることとグローバル人材とは別です。やはり大事なのは想いで、骨太で気持が強い人が評価されます。
フォースバレー・コンシェルジュ株式会社
編集後記
例年より少し遅れて今年度の就職活動も本格的にスタートしました。就職活動の時期になって初めて働くことについて考える学生が多い中、社会との繋がりを意識し、自分のキャリアを常に考えながら学生時代を過ごしてほしいという柴崎さんのメッセージが心に残りました。目的を持って長期のインターンシップを経験することももちろんそうですが、学生のうちに社会人と触れる機会を増やしたり、行動範囲を広げたりすることで、社会の仕組みを知るきっかけにもなるのではないでしょうか。今回のインタビューを通して、日本と海外との就職活動のあり方の違いだけでなく、学生の就職に対する意識の違いを実感し、身が引き締まる思いがしました。
陸 欣(りく しん)(国際教養学部4年)
<ICC Web Magazine より転載>
ICC Web Magazine
Posted in Career
今の日本人パスポートは天から降ってきたわけじゃない。未来の日本人へのリスペクトを賭けて戦え
Friday, Mar 16, 2012
ICC Web Magazine
[リサーチプロジェクト グローバル人材とは?]
Profile
氏 名:加藤 嘉一
現在の所属・資格:英フィナンシャルタイムズ中国語版コラムニスト、北京大学研究員、香港フェニックステレビコメンテーター
1984年静岡県生まれ
2003年高校卒業後単身で北京大学留学
同大学国際関係学院大学院修士課程修了
年間300以上の取材を受け、200本以上のコラムを書く
最新書「いま中国人は何を考えているのか」、「北朝鮮スーパーエリート達から日本人への伝言」
大事なことは一分間ですべて伝えろ
加藤さんの名刺(名前のみ表記)の真意はなんですか。
加藤嘉一だから加藤嘉一と書いてあります。グローバルで活躍するために名前は必要条件というよりも十分条件です。日本では、どうしても肩書きや会社で人を決めてしまいますよね。例えば、部長や課長というだけでこの人はすごい、すごくないと決めてしまう。でも、海外ではそれは全く通用しませんよ。僕は一昨日シンガポールで開催されたある会議に出席してきました。その際もこの名刺を使用しましたが、肩書きは全く関係ありませんでした。名刺よりも眼力だなと感じましたね(笑) ただ一方で、名前は非常に大事です。名前は両親からもらったものだから、それを大事にするのは人として当たり前。きっちり名前で勝負するというのは最大の親孝行だと思います。
名刺以外に、自己紹介の場で心がけていることがあれば教えて下さい。
例えば、一昨日の話です。僕は、そこで会った方と、今シンガポールでこういうことをして、なぜ来て、何に悩んでいて、だから君とこういうコミュニケーションが取りたいんだと言って、握手するんです。それがすべてです。これを、1分間で常にプレゼンテーションできるようにしておけば、グローバルで戦えますよ。逆に日本の方だと永田町でも霞が関でもいいけど、名刺だけ渡して帰る。これは資源の無駄じゃないですか。
日本の学校に提案したいのは、自分についての 1分間プレゼンです。まず小学1年生で日本語で、高校1年生では英語で、社会人からは中国語がベストだけれども第2外国語でそれをやれるようにトレーニングするんです。内容は、成長するにつれて常にアップデートしていきます。ぜひ公立でも私立でも学校でホームルームの時間でやったらいいと思いますね。
加藤さんはいつごろからグローバルを意識していらしたのですか。
グローバルという言葉を知ったのはここ10年くらいだと思いますけど、幼いころから世界はずっと意識していました。5歳くらいの頃から、趣味は地図を見ることだったんです。スリランカの首都の名前はなんでこんなに長いんだろうとか、なんでフランスにはいろんな人種の人がいるんだろうとか。そういったことをイメージしながら地球儀を回していました。地図を見始めたのは自然にというより一種の反抗心。生まれた地域がとても保守的な所だったので、なぜ自分が起こしたアクションに対して、他人は潰しにかかるんだろうか、と常に閉塞感を感じていました。それを確かめるためには、物事を客観化する、相対化するしかありません。
まず、日本のほかの都市に行ってみる。それでも分かりません。日本は均一化した社会ですからね。このとき、既に海外に行きたかったのですけど、人間1つの事をやるには3つ必要なものがあります。意思と能力、そして条件です。この3つが揃わないと難しいです。結局、意思と能力はあったと思いますが、なかなか条件が揃わなくて海外に出るのが18歳になってしまいました。
ピンチはチャンス。物売りのおばさんとの語学レッスン
中国語はどのように勉強しましたか。
北京大学で勉強していた当時、SARSの流行で授業が全部休校になったんです。在北京日本大使館が、日本人に対して強制帰国勧告を出していました。当然僕は帰らなかったけど、周りに日本人がいなくなったわけですよ。でも、ピンチはチャンス。なんとかして周りの人々とコミュニケーションをとって中国語を学ぼうと考えました。具体的には北京大学の西門で物売りをするおばさんと仲良くなったんです。だから、そのおばさんが僕の中国語の先生ですよ。最初はまずおばさんからアイスを買って握手をすることから始めました。それからは、おばさんの所にとにかく毎日通いました。1日8時間くらいひたすら会話するんです。話のネタを探すのに大変でしたよ。その時の1日のスケジュールは、まず4時半に起きて、辞書ひいて勉強してラジオ聞いてランニング行って、帰ってきたら簡単に朝食。朝8時くらいにはおばさんの所に行って夕方4時とかまでずっと会話していました。話をしているといろんな人が会話に入ってくるんです。おばさんのネットワークってすごいんですよ。
現地の方と交流するなかで、中国語以外に学んだことがあれば教えて下さい。
僕が思うに中国人は、ネットワーキングとインテリジェンスに長けています。どこの国にでもチャイナ・タウンを形成してしまうのですから。日本人にこれができますか?できないじゃないですか。海外で日本人だけで仲良く一緒に行動することと、コミュニティを形成したうえで他国の経済に参加することは全く異なりますよ。また中国人社会は相互不信の社会です。彼らは他人と接するとき、常に疑ってかかります。日本ほど性善説な社会はないですよ。他人を疑うこと、批判的に物事を見ること。このクリティカル・シンキングが大事です。
僕は、中国人は全体的に、何をするときも上手にカーブを投げる、という印象を持っています。ユーモア・センスも実はあるんですよね。ただ礼儀正しくしているだけでは生産的でないと分かりました。中国語はもちろん、物売りのおばさんからは様々なことを学ぶことができました。日本人みたいに簡単に他人を信じてはいけないんですよ。
自分なりに情報へのアプローチの方法を持つことは重要です。情報を鵜呑みにしていてはだめです。僕の場合は2つの国境を越えて新聞が同じことを言っていたら初めて信用できると思います。正しい見方、正しい情報にどうやってアプローチするか自分なりに構築しなくてはなりません。日常の中で自分で鍛えていく必要があります。これは新聞記者になるにしても、学者になるにしても、ビジネスマンになるにしても非常に大事なことですよね。
どのようにして人的ネットワークを構築することができたのですか。
通訳の仕事がきっかけです。最初は、翻訳が一番知的で良いバイトだと思って必死に勉強しました。HSKという試験を受けてスコアがよかったので、中国に着いて3ヶ月後には翻訳を始めました。1年後には逐次通訳、そのまた半年後には同時通訳をすることができるようになりました。そのときに僕は、単なる通訳で終わらせずに様々なところに入って行きました。例えば、僕が中国の大物政治家と知り合ったのは人民大会堂という日本でいう国会にあたる場所です。そこでの会議に通訳として参加したんですね。まずは、きっちり通訳の仕事をこなします。そして、休憩のときに政治リーダー達の様子を窺いながら、トイレであえてぶつかったり、椅子にかかっていたスーツの上着を落としたりしてね。「あっ大丈夫ですか。落ちましたよ」って拾ってあげるんです。すると「ありがとう。君は優しいな」となります。そうやって会話の機会を自ら作っていました。クリエイティブにアクティブに人的ネットワークを拡大していきましたよ。
海外に出るのはローリスク・ハイリターン、さらにローコスト
海外で生活することで、どのようなことを感じましたか。
日本に対しての愛国心が芽生えたこと、それから現地の人々から見たら自分が日本代表であるということですね。中国で様々な国の人々と語ることで、自分が日本人であるという意識は自ずと高まりました。自分は幼いころから日本が嫌いでした。でも中国の人から日本を誤解されたり、批判されると悔しかった。日本が嫌いだったはずなのに悔しかったんです。これは健全な愛国心だと思います。また、自分は加藤嘉一個人としての意見を言っただけのつもりであっても、外国人にとってはそれが日本人全体の意見になってしまいます。これは非常に責任を伴うことです。だから、まずは何より日本の国際社会における立ち位置や歴史をしっかり勉強することが大事ですね。国際社会で日本人としての意見を聞かれても、何も答えられない。それはとても恥ずかしいことですよ。
学生にメッセージをお願いします。
自分達がいかに恵まれているか知ることです。他国の学生と比べて自分達にはこれだけ情報が開かれていて、これだけどこにでも行ける環境にある。日本のパスポートを持っていれば、実際どこにでも行けるわけですよ。そのうえ今は円高です。今海外に出なかったらいつ出るんですか。一方、中国の学生は、人民元は切り上がっていないし、どこに行くにもビザが必要です。北京でアメリカのビザを取るためには、米国大使館の前で500メートルも並ばなければなりません。彼らは、そうまでしても行きたいと思うんです。
でも僕は、ただ漠然と海外に出ろと言うつもりはないです。就活をするか、大学院に進学するか、留学するかなど、学生の皆さんも迷っているはずです。そんな人に僕からのアドバイスです。まずは選択肢を広げましょう。そしてどの選択肢が一番いいか決定するための視野を広げましょう。
何か新しいことをしたいと思うのは、現状に不満を抱いているからです。それを違った視点、場所を変えて自分って何だろう、自分って何がしたいんだろうと考える事は非常に大切です。しかも学生のうちに海外に出るのはローリスク・ハイリターン。さらに今はローコストです。迷っていて新しい視点が欲しい。そんな時は留学でも海外旅行でも行く。自分を非日常に連れていくことです。
そもそも、今日本人が海外に行きやすいのは、先人が汗水たらして必死にやってきたから。だから今のパスポートがあるんです。天から降ってきたものではないんですよ。日本のパスポートが今後どうなっていくかは、我々一人ひとりの日本人にかかっています。自分の海外での振る舞いが今後のパスポートにつながって、未来の日本人が国際社会でどれだけリスペクトされるかにつながるという意識が大切です。そうすれば緊張感が生まれるでしょう。緊張感が生まれたら人は真剣になるんです。
編集後記
インタビュー中、ほとばしる情熱で答えて下さった加藤さん。圧倒されました。一言一言に今までの経験からくる重みを感じました。ものすごく辛く、ものすごく苦しい時があったと思います。でもそれに歯を食いしばって耐え、見えてきたものだからこそ聞く人の心に入ってくる説得力があるのではないでしょうか。「パスポートは天から降ってきたものではない」という言葉が特に強く心に残りました。私達は、海外旅行しようかなと考えたり、留学するかどうかを悩んだりしますが、選択肢があること自体に感謝しなければと感じました。次の世代のためにも、先人が切り拓いてくれた道のその先をさらに切り拓かねばと思います。
相原 亮(基幹理工学研究科1年)
<ICC Web Magazine より転載>
Posted in Career
OECDインターンシップ 体験レポート
Friday, Mar 09, 2012
Profile
氏 名:ビン・ナリ
国 籍:韓国
早大在籍期間の所属:アジア太平洋研究科
早大在籍時の:2010年9月-2012年8月
早大在籍時の資格:留学生 修士課程2年
早大在学時専門分野:開発経済学
早大在籍時の指導教授:不破信彦 教授
早稲田大学とOECDのインターンシッププログラムを通じて、2011年10月10日から12月1日まで、OECDのDevelopment Co-operate Directorate (DCD)においてインターンとして働かせて頂きました。DCDは発展途上国の発展を支援するために多様な国家間のパートナシップを図ると同時に、支援金額やサポート方法に関して最善の政策を提案する目的のために設立された部署です。私が OECDの多くの部署の中からDCDを志望した理由は2011年11月29日から12月1日まで開かれたthe 4th High Level Forum on Aid Effectiveness (HLF-4※)というフォーラムの準備に参加したいと考えたからです。 HLFは発展途上国の支援問題について論議する会議の中で最も規模が大きい権威のある国際会議です。開発問題に深い関心を持っている私はためらうことなしに DCDを選びました。幸いにもHLFは韓国の釜山で開催される予定であり、私が韓国人だということもあり、5月頃に早速DCD側から連絡が来まして、10月からインターンをするようになりました。(私が10月からインターンをするようになったのはMEXT奨学生として2ヶ月間しかインターンができないということで、HLF-4が終わる12月1日に合わせてインターンを終わらせるためです。ただ、一つの助言として言いますと、将来OECDのコンサルタントとして働きたいと思う方は6カ月ぐらいの長いインターン期間を持って自分のチームが発行するレポートや資料の完成に貢献することをお勧めします。)
インターン期間中の私の正式タイトルはCommunication Specialistでした。公式的には DCD全体チームに協力するCommunication Team (本来は DCDが発行するすべてのレポート及び発行物の校正、デザイン及び宣伝を担当するチームですが、HLF-4に関しては HLF-4 関連ロゴ、宣伝、発行、メディア及びコミュニケーションを担当したチームです。)の所属でしたが、実際の仕事ではAid Quality & Architecture Division (AQuA)というチームとも多くの関連がありました。というのもAQuAチームが実際に韓国政府とともに HLF-4に関するほとんどの準備を担当したチームだったからです。
バン・ギムン国連総長やヒラリー・クリントンアメリカ国務長官など名声があり高い職級の人々が参加する大規模会議を準備するためにチームの皆が非常に忙しかった時期に、私がチームの一員として少しだけでも寄与できたことに関してはとてもやりがいのあった経験だったと思います。私が担当した仕事は会議当日まではDCDによって発行されたHLF関連レポートの要約、整理及びデータの調査、会議に参加する国際機関と様々な機関との連絡及び質問に関する返事、HLFのe-library プロジェクトの担当、韓国政府とコミュニケーション担当でした。会議期間中にはアフリカ協力関連部の進行及び韓国政府との協力作業をしました。韓国政府は、ODAを受けた国から ODAを支援する国として世界で最初に成長した韓国がHLFの最後の会議であるHLF-4を開催することに対して国家的に大きい意味を持っていると述べています。韓国の李明博大統領もHLF-4の開会式でそのような韓国の立場を表明しました。私も韓国人としてそのような歴史的な会議に参加できたことについてはとても光栄なことだと思っています。
私にとってインターン期間の間多くのレポートや資料に接しながら開発問題に関してよりよく理解できるようになったことももちろん良い経験でした。加えて、他の長期インターンたちがデータや資料を深く調査して報告しながら自分が属したチームの人々とだけ主にコミュニケーションをすることとは違って、私の場合はHLF-4の準備という目的のためにチームの内部及び外部の多様な人々と長時間会議や議論をしながら準備をしなければならなかったので、短いインターン期間を通じてOECDという組職と人々に関する知識を得られたのが、私が得た最大の収獲ではないかと思います。
OECD内部の多様な人々との交流を通じてOECDという組職がどのような人々で構成されていて、どのようなリーダーシップと要因によってどういうふうに運営されているかを学ぶことができた一方、OECD外部の人々との交流を通じて国際社会でのOECDの役割、 影響、立場及び限界点などについて理解できましたので、普段関心深かった国際機関に関してさらに具体的な知識を持てるようになったという点で、私にとってOECDでのインターンの経験は非常に大事な経験だったと思います。
※HLF-4に関して詳しい内容はこちらを参照してください:http://www.aideffectiveness.org/busanhlf4/
(写真上:OECDパリ本部のロビーでOECDの新しいLOGOの前で写真を撮らせていただきました)
(写真下:韓国の釜山で行われたThe 4th High Level From on AidEffectivenessという国際会議を準備したOECDチームと韓国政府の方々皆で、会議が終わった後に記念写真を撮らせていただきました)
早稲田大学 OECD インターンシッププログラム参加者募集中(大学院生対象)
詳細はこちらをご覧ください>>
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早稲田に落ち着く私
Friday, Feb 24, 2012
Profile
氏 名:Alexander Schmitz
国 籍:オーストリア
早大在籍期間:2011‐2013
早大在籍時の資格:外国人研究員
早大在学時の所属:大学院理工学研究科
早大在籍時の専門分野:ヒューマノイド研究
早大在籍時の指導教授:大学院理工学研究科:菅野重樹教授
現在の仕事に就いた理由・プロセス、早稲田大学への留学経験が進路決定に与えた影響
ポスドクという立場で、本当に熟考し、えり好みをしていた結果、道は限られてしまいました。最後に私は早稲田を選びました。なぜなら早稲田は、人型ロボットでは世界のトップレベルの大学のひとつであり、さらに東京は素晴らしい都市だからです。私はJSPS博士号取得者俸給を申請し、受け取ることができたので、財政面は心配ありませんでした。
私の東京への移動が決まると、誰もが私の決断を祝ってくれました。
菅野研究室は、世界で有名な研究所で、世界中の人型ロボット研究の中で最高レベルの研究室のひとつです。イタリアの技術研究所での仕事がうまくいっていたので捨てがたかったですが、東京での経験が将来のキャリアを増強する助けになることは間違いないと思いました。
私の日本滞在は私自身の研究を進歩させると確信しています(すでに最初の3か月でそう感じています)。そして、また私が日本の研究の進歩にも貢献できると考えています。
早稲田大学で一番印象的だった出来事
早稲田のゲストハウスSTEP21での最初の晩、幸運にも私は大学の宿泊施設に滞在させてもらいました。その上、イタリアで一緒に仕事をし、一緒に暮らしていた同僚もSTEP21に滞在していたのです。彼は私を喜んで迎え、たくさんのレストラン(リーズナブルな値段のレストラン)やスーパーマーケットであふれるエリアを案内してくれました。私たちは一緒に夕食をとりました。彼は私に日本の短期集中コースを用意してくれたのです。私は日本への長旅で非常に疲れていたのですが、ついにここへたどりつけて非常に興奮しました。またSTEP21で仕事をしている人々も本当にフレンドリーで何か小さな問題があってもすぐに助けてくれました(銀行や郵便局を探すことのようなことでも)。その後、我々は夜の渋谷の街に出かけました。もちろん渋谷もまた楽しかったです。
WiNメンバーへのメッセージ
実際に東京に腰を落ち着けることは私にとって驚くほど簡単なことでした。そして予想よりも自分のライフスタイルを順応させる必要がありませんでした。同僚も食事も素晴らしいですし、すべての手続きがスムーズに進みました。人々はおおむねとても親切です。東京に来て早稲田で学ぶ、又は仕事をすることを皆さんにおすすめします!
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わたしたちにできるボランティアの第一歩
Friday, Feb 10, 2012
Profile
氏名:立山 廉
早稲田大学在籍期間:2008年4月-
早稲田大学での所属:社会科学部
百聞は一見に如かず。バス車内泊というスケジュールにつき、活動できたのはたったの半日程度でしたが、それでも実際に現地に足を運ぶことには大きな意味があります。メディアを通じて目や耳から情報を得ることはとても簡単ですが、自分の身体を通して現地の状況や空気を浴びることのインパクトはメディアを通したそれとは大きく異なります。もっと生々しいものとして、自分自身に襲い掛かってくるのです。
活動内容は民家のがれき撤去と畑の草刈りでした。被災地の畑は海水を浴びてしまって、雑草が伸び放題の状態です。農業を再開するためには、雑草をすべて抜いて土を入れ替えなくてはなりません。現地の方々の中には、農業を諦めようかと考える人たちも、やはり多くいらっしゃるようです。しかし、ボランティアとして、どんなに泥臭い仕事でもいいから、農地をもう一度使い直せるようにお手伝いをして、農家の方々の背中を押してあげるというのが私たちの役割であると、今感じています。厳密には、“背中を押させていただく”という表現のほうが適しているかもしれません。なぜなら、実際に将来その畑で取れた食物を食べさせていただくのは私たちに他ならないのですから。
さらに、農家の方のお話によると、現地のお年寄りの方々は、避難所生活で近所の人たちとの交流を絶たれてしまったことをきっかけに、精神的につらくなってしまうケースも少なくないようです。だからこそ、ボランティアの人たちが駆けつけて農地のお手伝いをしながら、少しでも現地の方々と会話を交わすことにも意味があるのかもしれないと感じました。復興には、ただお金を注ぎ込んで、モノをつくり直すだけではなくて、人々の生活のソフトの面でのケアがよりいっそう大切なのだと、改めて気付かされました。
今回、がれき撤去と草刈りをお手伝いさせていただいた家主の方が、最後の挨拶で涙を流しながら、次のようにおっしゃっていました。 「汚い作業をさせてしまって、ごめんね。本当にありがとうございます。学校に戻ったら、勉強も頑張ってね。」 この中の「勉強も頑張ってね。」という言葉には、二度と同じ被害が繰り返されないでほしい。そのためには、いったいどんなことをすればいいのか、何を伝えればいいのか、おそらく家主さんご本人の中でも、まだハッキリはしていないけれど、それでもなお、若い我々の世代に未来を託したい。という、どこかもどかしさも入り混じったような複雑な想いが感じられました。とても自分たちの未来を考えさせてくれるきっかけを与えてもらった気がします。そのことにまず感謝し、引き続き復興について考え続けること。それが私たちに出来るボランティアの第一歩なのだと思います。
こちらもご覧ください
早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター(WAVOC)
東日本大震災復興支援プロジェクト活動報告 >>
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自分に嘘をつかず、ワクワクできることに果敢に挑戦する
Thursday, Feb 02, 2012

早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授
留学センター所長
黒田 一雄
国際社会に結び付きたかった学生時代
黒田先生はどのような学生時代を過ごされたのでしょうか。
大学2年次から3年間、アジア文化会館という海外からの留学生用の学生寮で生活していました。1国につき3人まで入寮可能で、日本人も3人だけ住むことができました。そこでアジアやラテンアメリカなど様々な国の出身者とともに、たった3人の日本人の1人として共同生活をしていたわけです。寮生活は疑似国際社会であり、異文化に対する適応力が身につきました。また東南アジア青年の船という国の青年国際交流事業にも参加しました。当時はアジアに対して貧困や植民地支配の歴史など暗いイメージが強かった時代でしたが、実際に人々と2カ月間生活をともにすることで、アジアは元気で面白くてダイナミックな地域であると肌で感じることができました。社会を変えるのは自分たちだという熱い想いを持つアジアの若者と兄弟のような友人関係を築く中で自分自身が変わっていったことを覚えています。
様々なご経験をされていますが、そのきっかけとなったのはどんなことでしょうか。
何とかして自分を国際社会というものに結び付けていきたい、という想いがあったことですね。私は留学生寮に住んだり、青年の船に乗ったりするほかにも、国連大学で学生協会を作ったり、日本国際学生協会という団体で学生の国際会議を開催する活動に取り組んだり、学部生時代に本当に様々なことをしました。すべての活動にワクワクしながら取り組めたのは、やはりそのような強い想いがあったからだと思います。大学内にも大学の外にも探してみると、実は機会はたくさんありますよね。でも受動的ではいけません。自分から探していく姿勢を持ち果敢に挑戦することが大事です。そのためには、「自分は将来こうなりたいんだ!」という強い想いを抱くことが重要だと思いますね。
自分がワクワクできる分野を真剣に考える
「グローバル人材」に必要な能力や資質はどのようなものだと思われますか。
大きく分けて、専門性、コミュニケーション能力、想いの3つの要素が挙げられますが、中でも最も重要なのが専門性だと思います。いくら英語でコミュニケーションがとれたり、多様性に対して寛容であったり、また国際社会で活躍したいという意欲があったとしても専門性がなければグローバルなプロフェッショナルとしては不十分ではないでしょうか。だから学生のみなさんには、自分は何をもって国際社会に貢献できるのか、ということを真剣に考えてほしいです。私の場合は、教育開発が専門ということになりますが、私は自分の研究分野を愛していますし、とても面白いと思っています。学生の皆さんも、自分の一生を賭して自分を磨いていけると思えるような、自分がワクワクできる分野に巡り合うことが非常に重要です。
大学院に進学しない学生はどのように専門性を身につければよいですか。
大学院は選択肢の1つですが、仕事をしながら専門性を身につけることは当然可能です。ただし就職活動は慎重に行ってほしいです。厳しい状況なのは百も承知ですが、自分がどんな分野で生きていこうとしているか、仕事を通じてどんな専門性を自分の中で構築できるのか、ということをきちんと考えてください。仕事に就いてからも専門性を身につけるべく向上心を持ち続けることです。もちろん企業やNPO、政府は教育機関ではありません。まずは組織への貢献を考えなければなりません。しかし長期的な観点を持ち、特に20代から30代前半は自分自身の向上を強く意識してください。どうせ30代前半くらいまでは、途上国のために本当に役立つような専門性を身につけることは困難です。私個人の経験からも、途上国の人々に育ててもらったという感覚がすごくあります。でもそれでいい。一生を通じて、育ててもらったお返しとして国際社会に貢献できる専門性のある自分を目指して欲しいですね。
どうすればワクワクできる分野が見つかりますか。
学生のみなさんと接していて、ワクワクできる分野を見つけることが難しく、それを仕事にするのはさらに難しいということがよくわかりました。何に関心があってワクワクするかが分からないんですね。でも、やはり肝心なのは様々なことに果敢に挑戦することだと思います。そして自分の好きなことがあったら必死でかじりつく。私も一度は浮気して銀行に入りました。しかし自分をごまかしきれなかった。途上国で教育開発に携わりたいという想いは、どうにも変えられなかった。だから今があります。自分に嘘をつかないで夢を追うと最終的にすごく不幸せにはならないと思います。好きなことをしていると、難しい状況があっても乗り切りやすくなると思います。
ブランドにしがみつく悪い癖
最近の若者は「内向き志向」と言われますが、早大生の実態についてどうお考えですか。
実は早大生が内向き志向であるという印象はまったくありません。例えば、国際協力の副専攻科目は毎学期大人気となっています。そもそも内向きが悪いわけではありません。日本を見ることもすごく大事です。海外ばかりを見ていて日本を考える視点を持たない人は根無し草になってしまいます。つまりは、バランスの取れた視点を構築することが非常に重要です。しかし早大生が均質化してきていることは感じます。もともと早稲田大学の文化は多様な学生がいることです。昔は人と違うことを志向する学生文化があったと私は思っています。最近の学生は、進学校出身、東京近辺出身、社会的な階層的にも恵まれた人たちが増えています。ある意味、慶応と何の違いもない。早稲田大学の目的は多様な分野でリーダーを育てていくことであり、学生が単質的にまとまってしまうのは危機だと思います。
学生はどうすれば多様化できますか。
たくさん落ちればいいんです。挑戦して失敗すればいい。早大生はいわゆる受験エリートなので、落ちるのが嫌だし怖いのだと思います。早稲田大学はブランド力がありますし、早大生はブランド大学の学生であることに慣れてしまっている。最近の学生を見ていると、ブランドにしがみつく悪い癖があるように感じます。ブランドにしがみついて落ちたくないから挑戦しない。これでは
いけません。様々なプログラムに当たって砕けろという精神で応募していく、ぶつかっていく、そういうことが国際社会でキャリア形成をするうえではとても大事です。みんながそうやって自分のワクワクできることを探していけば、早稲田大学は多様性を取り戻せるのではないでしょうか。
<ICC Web Magazine より転載>
黒田先生の経歴:
広島大学教育開発国際協力研究センター講師、助教授を経て現職。他に日本ユネスコ国内委員会委員、アジア経済研究所開発スクール客員教授、JICA研究所研究員等。外務省、JICA、文部科学省等の教育開発分野調査研究・評価に携わる。スタンフォード大学にてM.A.(国際教育開発)、コーネル大学にてPh.D.(教育・開発社会学)を取得。
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「名取市の被災地でのボランティア体験」
Friday, Jan 20, 2012
Profile
氏名:Jansinee Kankaew カンカウ ジャンスィニーさん
早稲田大学在籍期間:2009年9月-2011年9月
早稲田大学での所属:アジア太平洋研究科
地震が起きた一週間後、複雑な気持ちで私は日本を出ました。「なぜ私は日本に残って人を助けようとしなかったのだろう?」 3月11日の地震と津波の映像が記憶に焼き付いていて、大好きな友達を残してきてしまった気持ちでした。
そこで、日本に帰ってきたらボランティアしようと心に決めました。 この災害で苦しんでいる人達のために何かをしたかったのです。
外国留学生で、日本語もあまり流暢にしゃべれない私にとっては、ボランティアも簡単ことではありません。役に立つ変わりに、みんなの足を引っ張ることになるにではないかというのが一番心配でした。
外国人でもボランティアができる所を探しているときに、WAVOCが宮城県名取市に行く早稲田大学生のボランティアを募集していることを知りました。WAVOCは日本語を話せない人でも参加可能だと聞いてすぐに応募しました。
現地は、ニュースの映像と同様に、町中にがれきが散らばっていました。 津波は家も、車も、ビルも船も全部流してしまいました。
以前は混んでいた町が、今はガラガラで暗い感じでした。
しかし、人々の心は、まったく暗さを感じさせませんでした。
この町のプロジェクトオーガナイザーの桜井さんが「今夜の目的はみんなに元気を与えること。」だと教えてくれました。お盆の間に灯篭のお祭りや、大きな花火大会をサプライズで企画していました。私たちの仕事は現地のスタッフや、他のボランティアの人達と一緒に、このイベントの手伝いをすることでした。みんなが楽しめるように一生懸命に頑張りました。
私の仕事は、ライトのセッティングや、ごみを拾ったり、子供たちを見たり、終わった後のかたずけをすることでした。最初、私の仕事は他の仕事に比べると大した事は出来なかったと思いました。
でも、花火が終わった後、スタッフが感動の涙を流しているのを見て考えが変わりました。 人々の笑顔を見て、私たちはやりがいを感じました。
私たちの仕事はとてもシンプルでしたが、数時間の仕事で人を喜ばせることが出来ました。本当に行ってよかったと思います。 WAVOC と一緒に仕事ができたこと、みなさんにこんなに貴重な体験をさせてもらえたことに、心から感謝しています。
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